心と体

2009年11月29日 (日)

幽霊の定義

Ghost0023 筆者が幽霊遭遇体験をある学会の論文に発表しようと試みたときがあった。しかし、その論文には手厳しい批判が山のように待ち構えていて断念せざるを得なかった。それは論文という学術的な手法のほかに「幽霊」というものの学術的な定義が世の中に無いからだというのが後から分ってきたことをよく覚えている。
ウィキペディアによれば【幽霊(ゆうれい)は、日本の民間信仰の中で、人が死亡して、肉体から魂(たましい)が離れた後も、未練(みれん)や遺恨(いこん)を解くために、現世(うつしよ)に残り、生前の姿で幽か(かすか)に可視化したもの】と、このように紹介されている。
要するに「幽霊」というもののはっきりした学術的な定義が今の世の中には誠に残念ながら無い。これが現在の心霊研究に大きな足かせになっているのではないかと思う。ウィキペディアの「幽霊」に関する解説もちょっと説得力がなく心細い感じがする。
では、筆者が心霊研究を進めていくなかで感じた「幽霊」の定義について少し語ってみたい。
筆者が考える幽霊の定義は次の通りである。
先ず、幽霊とは死んだ肉体の魂がその肉体から離れて霊魂となり、その霊魂が人間などの生き物の前で自らの存在を示すために姿を見せる行為である。幽霊の姿は一様ではなく千変万化する。従って幽霊の目撃談の姿は千差万別なものとなる。
そして、この幽霊の姿を検証すると、一つ目に自然界で起こりえる自然現象ではないこと、二つ目にその姿は肉体と生命を持ったものではない。三つ目に幽霊には生きた生物のように意識がはっきりと存在する。ということである。

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2009年11月22日 (日)

憑依で体験する現象や症状

Man003 憑依体験について、筆者の体験から少し述べてみたい。
「憑依」とは科学的なものは明確に表現されたものは現時点では無いように思われる。簡単に述べると死んだ肉体の魂がその肉体から離れて人間や人形、植物やその他の物体に取り憑くことを指しているのではないかと考える。
これらの症状や現象というものは先に述べたとおり、明晰夢もそのひとつであるが大きく五つの現象や症状が筆者の場合に現れた。それらを添付の図に表わしてみた。内容は次の通りである。

1.夢の世界で不思議な夢をよく見るようになる。
  (明晰夢や金縛りの夢)

2.オーブが写真によく写るようになる。

3.浮遊霊とよばれる霊を自殺や事故が起こった場所で
  よく感じるようになる。

4.肩に鉄板が埋め込まれたような身体的変化が起こる。
  ひどい時には鬱のような症状になる。

5.身近で不思議な現象(超常現象)をよく目の当たりに
  するようになる。

以上のような内容であった。これまで筆者の心霊調査から憑依に関する事例を何度か聞いたことがあるが、正しくはこれらの現象や症状などを体験者に質問して憑依かどうかの判断材料にすることも心霊研究では必要だと感じている。

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2009年11月13日 (金)

明晰夢と超常体験の調査

Meisekimu01 マット・イシカワさんの超心理マニアのブログで【明晰夢と超常体験の調査】が取り上げられているので、筆者の体験から一部を紹介したい。
◎明晰夢(めいせきむ)とは、睡眠中にみる夢のうち、自分で夢であると自覚しながら見ている夢のことである。Lucid Dream(ルシッド・ドリーム)とも呼ばれる。
このようにウィキペディアでは紹介されているが、一般項目としてはまさにこの通りだと筆者は考える。しかしながら、この発生のメカニズムは一種の生理的現象だとも述べられているが、これは何らかの心霊現象ではないかと筆者は考えている。
筆者の体験から、この明晰夢について述べてみると
先ず
①眠りに入ると、すぐに不思議な夢の世界が始まる。
②まるでそれらの夢は現実の世界そのものである。
③三日続けて同じような夢を見る。
④眠りから覚めると、その夢の世界の出来事をハッキリと覚えている。
⑤眠りから覚めると、脳にある種の疲労感が残る。
こんなところが印象的に記憶に残る。普通の夢の世界と違う点である。
明晰夢と超常体験は関連性があると位置づけてよいのではないかと筆者は考えている。

参考【超心理マニアのブログ】
http://blog.goo.ne.jp/metapsi/e/f4f849bdeaf91ac08d908ac02d7597bb

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2009年10月30日 (金)

幽霊は足跡を残す

Sa3 「幽霊は足跡を残す」と言うと、ちょっと大げさであるが、どう考えても幽霊が足跡を残すはずがない。添付の写真に示しているように筆者が調査している長野県M村の林道で撮影した幽霊クリウが林道の林の中に消えていった場所(左の写真)をそっと覗いたところ、驚くなかれ!そこに水仙のひとかたまりが小さな花園を作っていた(右の写真)。
これまでいろいろ調べてきたが、奇跡の森の界隈には水仙が咲いている場所は他にどこにも無かった。水仙というものは球根から芽を出し花を咲かせるものであるので、自然にこの場所に咲いているのはあり得ないことである。
そして、このひとかたまりの水仙は間違いなく誰かの手で植えたものだろうと結論付けた。水仙の花が咲いている場所を奇跡の森から更に離れてM村全体で調べてみると、1Kmほど下流にある菩提寺の回りに桜の季節になるとたくさんの水仙が咲いている。この場所の水仙が一番近い。と、言うことは、奇跡の森の林道で幽霊クリウが姿を消した場所に咲いているのは、この菩提寺から持ってきて誰かが植えたのではないかと推測している。
要するに、筆者が幽霊クリウと遭遇した同じ場所でM村の誰かが幽霊クリウを目撃したので、この場所にわざわざ水仙を植えたのではないか?と推測できる。
この水仙の花はここのブログでも過去に「不思議な花園」として紹介したことがあるが、これは間違いなく幽霊クリウが同じ場所に現れた証である。
これこそが「幽霊の足跡」と間違いなく言えるものかも知れない。

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2009年10月24日 (土)

霊魂のぬくもり

A091024 今日のNHKのアーカイブスという番組で「ある夫婦のホスピス絵日記」というものを紹介していた。
この番組を見た感想としては、どちらかというと「死生学」というものが中心にあったと思った。近年、よく「こころの時代」という言葉がよく使われ出しているが、すべてが生命の「死」というものを受容しようという考え方が根底にあるような気がしている。
この日のNHKの番組では41歳の若さで亡くなられたご主人の最後を看取った奥さんの生き様が絵日記という形で忠実に紹介されていて大変感銘を受けた。
この番組のなかで、この奥さんがご主人が亡くなられた数日後に自宅で一人でいるときに不思議な体験があったことをお話されていた。
それは、亡くなったご主人のことを部屋の中で考えているとき、自分の顔の辺りを風もないのに生暖かい空気が通り過ぎていったのを、あれは今に思えばご主人の霊だったのではないかと付け加えられていたことが筆者の脳裏に強く残った。
この奥さんの体験は、筆者が調査している奇跡の森の林道の入り口でも時々体験することがある。不思議な現象である、確かに周囲に風もないのに生暖かい空気の塊が身体を通り過ぎていくことが何度かあった。心霊研究では五感で感じることも、よく調査することが必要だ。
霊魂には生物と同じような「ぬくもり」が間違いなくあるのではないだろうか。写真は10月24日に放映されたNHKのものである。

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2009年10月18日 (日)

古文字と心霊研究

Bonji003 「古代遺跡と霊」について筆者が制作したビデオをもとに映写と説明を先月実施したが、心霊研究を行ううえで先ず壁によくぶち当たるのが石塔や仏画などに刻まれている古文字ではないかと思う。
奇跡の森にある「百番供養塔」に刻まれている古文字は僅かな文字だったが解明に三年ほどかかった。これは石に刻んである文字が光の加減で見えたり見えなかったりするからだ。
南米の遺跡調査では研究者は夜に出かけていって懐中電灯で文字を照らし出して解読しているようである。これほど古文字を解読するのは難しく容易ではない。
先に紹介した佐久観音霊場にあった石碑の文字も同じであった。本当に古文字は何が書いてあるのか専門家でないから直ぐに閃いてこないから大変だ。
週末、近くの図書館へ出かけて「梵字」に関する書籍を読み漁ってきた。「梵字」というのはお墓の塔婆などによく描かれている不思議な文字というか絵模様のような文字だ。
最初、この石碑に書かれているのは七人の神々だろうと考えていたが添付の写真に説明している通り、オン・アロリキャ・ソワカ(聖観音真言)のことだとようやく判明した。
このように石塔や石仏、遺跡などに書かれている古文字が何を語っているのかが分れば、心霊研究にも大いに役立つものと考えている。民俗学や古代史、考古学の若干の知識も必要である。

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2009年10月11日 (日)

心霊研究のあり方

Bonji002 現代の心霊研究というものは交霊体験など霊魂そのものの研究が主体となっているようであるが、古の石塔や遺跡、古文書などから先人の行った霊魂供養の実体を調べ精査していくことも大事だと考えている。
今、筆者は長野県のM村とK村の霊魂調査を行っているが、やはり先人たちは当時、霊魂に対して何を考え、どう対応していたかを調べていくことも大切だと考えている。
そのひとつが庚申講である。この庚申講は巷で説明されているようにたんなる民俗信仰の行事だったとは少なくともこの二つの村からは感じ取れなかった。
要するにこのM村とK村の庚申講は少なくとも不吉な出来事が起こったころに行われ、目的は村の戒律(見ザル、言わザル、聞かザル)と霊魂供養が混在しているようである。
日本の民俗学研究で著名な折口信夫先生や柳田邦夫先生などの古代史研究などは現代の心霊研究には欠くことのできない貴重な財産であると筆者は考え併せて研究している。
 写真は長野県K村にある霊場に建立されている石塔であるが、現在の筆者にはとても難解な文字でまだ解読できていない。
この石塔に刻まれている文字は遠くインドの梵字(ぼんじ)らしいというところまで辿りついたが、これまでの調査で庚申講とのつながりも少し見え隠れしている。
このように、これからの心霊研究を進めるうえでは古代史や民俗学なども取り入れた研究が間違いなく必須条件で、これらの中から新しい発見が生まれるものと信じている。

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2009年9月 5日 (土)

「古代遺跡と霊」の映写会

奇跡の森の調査内容を取りまとめた「古代遺跡と霊」の映写が下記の通り実施される。
特に古墳や遺跡に興味ある方のご参加をお待ちしています。尚、会場は15名程度しか入場できませんのでご注意ください。

日 時:平成21年9月26日(土)PM13:00~15:00

場 所:ルノアールニュー秋葉原店
    http://wwwsoc.nii.ac.jp/jspp2/japanese/monthly/index.html

主 催:日本超心理学会
                                   以 上

Sisya001

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2009年8月13日 (木)

古墳と古代ロマン

Kofun013 先に古墳のミステリーという記事を書いたが、長野県M村で発見した前方後円墳について写真を添付して専門家に検証してもらった。
結果は思っていた通り写真だけでは判断が難しいということだった。そして、筆者が前方後円墳と判断した小規模の古墳は国内で発見されていないということである。
話は変わって奇跡の森から8Kmほどの下流域で発見されている7000~8000年前の縄文遺跡から出土した土器の一部に他に類を見ない土器があり、この土器には仮称R式土器という固有の名称がつけられている。
挿絵に筆者が調査中の前方後円墳の平面図をイラストにしてみたが、このような古墳は国内ではまだ発見されていない形式のものではないかと思う。縄文土器の特殊性や筆者が発見した前方後円墳から考察してみると、この長野県M村の住民のご先祖は一体全体何ものだろうか。恐らく渡来人ではないか。
今日はお盆の入りだ。このような古墳を調査していると長野県M村のご先祖様はその昔、古代高句麗から遠く海を渡ってこの日本に移り住んだ民族だったのではないかと、ちょっとした古代のロマンを思い浮かべている。
恐らく考古学者たちは遺跡や古墳を発掘しているときは、筆者と同じようにその時代の人類の姿や景色に古代のロマンを追い求めているに違いないだろう。

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2009年8月 6日 (木)

不愉快な懐疑論者

Small01 超常現象やUFOなどの懐疑論者で知られるW大学の物理学者であるO教授が自らの最近のブログで読者から送られてきた不思議な写真を見て、<カメラレンズの二重反射>だと仮説を出して答えている。
O教授は超常現象やUFOなどの民放テレビのバラエティ番組によく出演されているから、自らのブログも人気が高くて筆者も時々参考までに見ることがあるが、この不思議な写真を見て仮説を出すプロセスが物理学者とは思われないと感じている。
筆者も不思議な写真をよく分析しているが、一般的な大学の教授という人はたった一枚の写真から仮説を出す人間はほとんど稀だということである。
一般的な大学の教授であれば「たった一枚の写真からだと判断が難しい」と答えるのではないだろうか。
O教授がその不思議な写真に<カメラレンズの二重反射>と仮説的な結論を出しているが、さてさて誠にもって何を根拠にその仮説を導き出したのか物理学者としての真価が問われるのではないだろうか。
筆者であれば、先ずその不思議な写真が写った場所の写真をもう一度撮ってもらう、次にどうしてその場所の写真を撮ったのか理由を聞く、三番目にその写真が恐らくデジカメで撮ったものだろうから、その写真の画像情報を調べる。
この3点は最低でも調べてから仮説を出すだろう。添付の不思議な写真は筆者が森の中で偶然撮影したものであるが、これは犯人がくもの糸だった。要するにデジカメの近くのくもの糸がカメラのフラッシュに反応して光ったものだった。その写真の画像情報の中にフラッシュがONになっていたのが分ったので、同じ条件で写真を撮ったら再現したから間違いなかった。
よく心霊現象やら超常現象の懐疑論者がO教授のように自分の名声だけを背景にして世の中の不思議な現象を一蹴される人たちが見受けられるが、そのような懐疑論者はたんにバラエティ番組の役者という存在だけであって実に不愉快な存在にしかわれわれの目に写ってこない。

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