フィールドワーク

2018年11月 3日 (土)

霊に怯える人々

久しぶりに「奇跡の森」に足を運んできました。朝の気温が氷点下三度と、東京から比べると一か月近く季節が冬へと進んでいました。
今から三年ほど前に一度足を運んでいた時、「奇跡の森」の界隈の木々を地元の業者が伐採しているのに遭遇しましたが、今回訪れてみると百番供養塔の周りがかなりバッサリと切られているのに驚かされました。
現代科学というものは霊魂の存在をかなり否定していますが、こういう場所こそ科学的なメスを入れる必要があると考えています。
今回の調査では地元の人の話を聞く機会はありませんでしたが、現地の大きな様変わりを見ると、やはり地元の人々は私が遭遇した幽霊「クリウ」のことを知っていて、かなり恐れているために百番供養塔界隈の木々を伐採したとしか考えられませんでした。

2018年11月現在の奇跡の森の姿

入口付近の近況

Aiki181100

奇跡の森にある現在の「百番供養塔」

Aiki181101


「百番供養塔」の付近の近況

Aiki181102

過去の「百番供養塔」付近と比べてみる

かなりの木々が伐採されているのが分かりますね。

Aiki181104

この場所は夏になると木々の影響で薄暗くなるところでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年9月 5日 (水)

多摩の怪談「すってくりょう」

台風21号が関西中心に各地に被害をもたらしましたが、被害に遭われたみなさまにお見舞い申し上げます。

今日は、多摩の怪談に取り上げられている東京あきる野市にある兄弟塚「すってくりょう」の調査を行ってきましたので、調査内容をご説明します。

Tamakai011


現地案内地図



あらまし

その昔、菅尾太郎、次郎という兄弟がこの地にいて、兄が鎌倉に出かけている間に、弟次郎が兄の愛馬を田がきのために兄の許可もなく貸し出してしまった。
数日後、鎌倉から戻った兄はこのことに大変激怒し、兄弟げんかが始まり、刀を抜いて果し合いになってしまった。「ずめり坂」のところで弟がよろけたときに、その刃が兄の胸元にあたり、兄は息絶えたという。
兄思いの弟は、我に返り嘆き悲しみ、そこで自害したという。二人の亡骸はそのまま頭もそらずこの場所に埋葬されてしまった。
その後、村人たちがこの場所を通るたびに、どこからか、頭をそってくれ、「すってくりょう」といううめき声のような声が聞こえてきたという。

Tamakai013

現地の状況

Tamakai012

八雲神社

地図上では八雲神社が目印となっています。

Tamakai014


調査後の感想

今回の調査では、特に写真や電子機器などにも異常は見られませんでした。この場所は、普段人通りも少なく、心臓の弱い人は気を付けたがいいかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年5月17日 (木)

峠の人柱と心霊研究

沖縄地方が先日梅雨入りしたので、本州の方もこれから梅雨入りの便りが聞かれるこのごろとなりましたね。この前まで寒い寒いと言っていたのがうそのようです。

さて、今日は、また、ちょっと怖い話です。
先日、NHKのバラエティ番組で「人身御供(ひとみごくう)」のことが取り上げられていましたので、今回、私たちの身近にある「人身御供」についてお話しします。

東京都日の出町と青梅市の境界のところに二ツ塚峠があって、先日、調査に行ってきました。現在、二ツ塚峠は新しい道が通っていますが、峠付近に旧道が残っていて、その旧道の峠付近から青梅方面に抜けるところに「二ツ塚」と呼ばれる塚があります。いろいろな資料を調べてみましたが、昔は峠付近に塚が二つあったので「二ツ塚」と呼ばれていたそうですが、現在はそのような面影は見当たりませんでした。下の写真は旧二ツ塚峠です。現在は入り口が封鎖されて通行止めになっていますが、登山やハイカーの人たちは山歩きで自由に通れます。

Futatsu011

旧二ツ塚峠から尾根道に入る

Futatsu012

間もなく「二ツ塚」に到着

ひっそりと供養塔が一基建立されています。

Futatsu009

「二ツ塚」と人柱の由来(掲示より)

Futatsu010

ひらめいた!

二ツ塚に来てみてひらめきました。そうです、檜原村の時坂峠の母子地蔵です。地元の人に母子地蔵の由来を聞いてみてもハッキリとした返事はありませんでしたが、二ツ塚と共通しているのが、峠と母子(娘)という点ですね。

Futatsu003

「峠」とは何か

檜原村の民話などの資料を調べると、「峠」という字は日本人が作った和字であって、日本人は峠のことを「タフゲ」、すなわち、両手を重ねて祈る姿から両手を手向(たふげ)ると呼んでいたということが分かりました。峠というのは神聖な場所だったんですね。

Hund201

二ツ塚峠(日の出町)と時坂峠の位置関係

Futatsu008

多地点観測の必要性

最近、よく思うのは、昔の人々の風習の共通点を調べるには鳥瞰的視点が必要だと、つくづく痛感しています。みなさんもフィールドワークをするときには、その場所だけに縛られずに鳥瞰的視点で見つめると、特に密教などの解読に役に立つものと考えます。

考察:峠の怪談

時坂峠には女性の幽霊目撃情報、二ツ塚は西多摩地方の心霊スポットとなっている点も心霊研究には見逃せないチェックポイントです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月24日 (火)

平将門ミステリー紀行(サイカチの木)

季節もいつの間にか新緑の季節になりましたね。今日は奥多摩町にある「サイカチ木」、すなわち平家ゆかりの地に行ってきましたので、お話しさせていただきます。

サイカチの木とは何か

サイカチとは槐とか皀角のような漢字で表現されますが、マメ科の植物で幹や枝にするどい棘(とげ)があり、別名「カワラフジ」などと呼ばれたりします。
現在、奥多摩町では町の天然記念物として紹介されているだけですが、武蔵名勝図会などによると、この木は、その昔、戦があるときに枝を切り落として敵を威嚇する目的で使われていたことは余り知られていないようです。

Saikati011

どのように使ったか

武蔵名勝図会の資料に基づいてイメージを再現してみると、次のように敵が押し寄せてくる街道などに、「俺たちは戦う意思があるぞ!」と言わんばかりにサイカチの木を置いていたようです。

Saikati013

サイカチの木の意味

サイカチの木を何故、戦に利用したのかよく分かっていませんが、「木」という漢字が背景にあるものと考えています。要するに「木」は文字を分解すると八と十に分かれる為ですね。十は八が取れたので「もぎ木」と呼ばれ、それを逆さにして「逆(さか)もぎ」です。逆もぎは刀の形に見えるから、相手に逆らうことを表しているものだと考えています。薩摩藩の昔の家紋が「もぎ木」になっているので、よく分かります。

Masakado024

サイカチ木への道順(奥多摩町案内図より)

サイカチ木へはJR奥多摩駅から「むかし道」コース上にありますので、駅から30分程度で行くことができます。「むかし道」は昔の鉄道の廃線跡などがあって、お勧めのコースです。

Saikati014

サイカチ木周辺に見られる石仏群

サイカチ木の周辺にこれだけの石仏があるのは理由はよく分かりませんが、その昔、戦のためにサイカチ木を植えたのであれば、その理由がなんとなく分かるような気がしますね。

Saikati015

どうですか、みなさん、五月の大型連休も近いので時間が取れたら奥多摩町の歴史散策などいかがでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月 5日 (木)

平将門ミステリー紀行(オーブと怨霊)

昨日は東京は今年初めての夏日だと天気予報の番組で言っていましたが、今日は平年の気候に逆戻りです。
さて、今回は奥多摩町鳩ノ巣にある将門神社の調査です。「将門神社」って全国各地にあるようですが、八王子市上恩方にある将門神社と共通しているのが、人目につかない山中にある点ですね。他の将門神社が同じかどうか分かりませんが、調査された方がいらっしゃれば教えてください。

鳩ノ巣の将門神社の案内図(多摩の怪談より)

Masakado134

目印は交差点:将門

ここからすぐ将門神社の入り口が見えます。

Masakado144

入口にある案内板

Masakado139

途中に豊玉堂というお堂がある

将門の名前も見えるので、関係がありそうです。

Masakado141

登ること約10分、ようやく将門神社

Masakado142

神社の横に御幸姫観音像がある

御幸姫というのは将門の子供の一人で、日の出町の勝峰山で見かけた桔梗姫と関係があるかも知れません。

Masakado137

豊玉姫と御幸姫の関係

途中、豊玉堂の紹介をしましたが、昔の人は御幸姫を神話に出てくる豊玉姫に神格化したのではないかと思われる「玉(ぎょく)」が御幸姫観音の近くにありました。

Masakado138

オーブ現象の観察

八王子市上恩方の将門神社でもオーブの出現がありましたが、ここでも、やはりオーブの出現が見られました。その他にコンパクトデジカメの異常なロックがありました。これらは心霊スポットでよくみられる現象ですね。

Masakado136

八王子市上恩方「将門神社」でのオーブ

Masakado110

考 察

「将門神社」の境内に入ってからみられるオーブ現象から考えれば、この二つの将門神社には霊のようなものが存在する確率が高い、と言えるのではないかと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月19日 (月)

平将門ミステリー紀行(血の池地獄)

急に暖かくなってきたので桜の開花も秒読みかなと思っていましたら、急に寒くなって足踏み状態になりましたね。
さて、今日は平将門ミステリー紀行も勝峰山という心霊スポットへの挑戦です。
勝峰山は標高454mなのでそう高い山ではないのですが、登って現場を見てみると、やっぱり心霊スポットだと分かりますね。では、いよいよ心霊スポットへ、いざ!

1.勝峰山(454m)へは車が便利です

  JR五日市駅からだと、秋川街道で小机から大久野方面へ向かいます。
  緑の矢印の部分が「藤太橋」の案内板があるところです。

Masakado131

2.勝峰山史跡案内板

  これは頂上付近に掲示してありますが、この場所で平将門と藤原秀郷が一戦を交えたことは史実として公認されていませんが、現場に行ってみると、本当に歴史上この場所はまさに隠蔽されていると誰しも考えるかも知れません。

Masakado122

3.勝峰山山頂の見取り図

Masakado125

4.血の池入り口の不気味な祠

  山頂に登る途中に血の池の案内板がたっています。入口の所に木で作った祠が二つありますが、これが、ちょっと怖いです。何しろ中身が空っぽなんです。理由は分かりませんが主のいない祠も本当に怖いです。

Masakado127

5.ドリーネ(窪地)にある「鈴石」

  ドリーネとは石灰岩大地などが雨水などで浸食されて窪んだところを意味する専門用語のようです。この場所に平将門の愛妾、鈴か御前が生前好きだったお手玉のことを忍んでか「鈴石」というのが祀ってあります。

Masakado128

6.血の池

  「鈴石」の近くにあるのが、ちょっと怖い「血の池」と呼ばれる小さな池ですね。
最初のころよく意味が分かりませんでしたが、将門の武勇伝を調べていくと、鈴か御前が将門を裏切って敵方に密通したことが背景にあるようです。仏教などでは女性が堕ちる地獄のことを「血の池地獄」と呼んでいるので、この場所は歴史そのものを証明しているのではないかと思います。深さはそんなに深くはなく5~6m程度です。

Masakado129

7.山頂付近にある「鎧塚」

伝説では「一夜城」となっているので、確かに山頂付近は城郭のような面影はありませんでしたが、この「鎧塚」が一夜城の面影を残しているのではないかと思います。

Masakado126

8.考 察

今回の調査では観光客もちらほら見えていましたので、霊の反応のようなものは余り感じられませんでしたね。やっぱり、心霊スポットというのは誰もいないときに一人で行って調査するのが一番です。ここは、心霊に興味のある初心者の方にお勧めの心霊スポットですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月13日 (火)

平将門ミステリー紀行(いざ、勝峰山!)

この2〜3日、随分と暖かくなってきましたね。
今日は平将門ミステリー紀行の大本命、日の出町に伝わる勝峰山(かつぼやま、又は、かつぼうやま)合戦伝説についてお話しします。
日本の歴史上は平将門と藤原秀郷がこの地で合戦を行ったことは史実として捉えられていませんが、現地を訪ねてみると、史実自体が間違っているのではないかと錯覚してしまいますね。

合戦の内容

伝承によると天慶3年(940)に相模原方面から藤原秀郷(田原藤太)に追われた将門は勝峰山に一夜城をたてて立てこもった。
翌日、秀郷は羽生から、家来は幸神から攻め、激戦の末、将門は梅ケ谷峠を抜けて青梅から奥多摩へと逃げて行った。(日の出町史より)

いざ!勝峰山へ

最寄り駅はJR五日市駅が便利

Masakado121

実踏コース

JR五日市駅→藤太橋→幸神神社→岩井橋→勝峰山林道→山頂

藤太橋

藤原秀郷(田原藤太)がここから平将門に向かって矢を放ったという伝説の橋(実際、橋はなく説明板と使われていた石が数個残っているだけ)

Masakado123

幸神神社

藤原秀郷が陣をはった場所と伝えられている

Masakado124

勝峰山登山入り口(岩井橋)

岩井橋を渡ると太平洋セメント工場が見えますが、すぐに左折。一応、山頂近くまでは車で行くこともできます。

Masakado119

勝峰山林道

Masakado120

今日のところは、ここまでですね。(◎´∀`)ノ でも、この先からが、ちょっと怖いですよ、ホント(*≧m≦*)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月 8日 (木)

平将門ミステリー紀行(城と三すくみ)

みなさん、こんにちは。東京の西多摩地方は今、春の雨が降っています。梅の花も見ごろで、そろそろカタクリの花が咲きだしそうな塩梅です。
さて、今日は「城と三すくみ」についてお話したいと思います。ちょうど今、「空海」という映画が上映されていて、今年は「密教」が脚光を浴びるかも知れませんね。
「三すくみ」というのは神社などで古くから信仰されていましたので、儒教的なものとばかりに考えていましたが、実はそうではないようです。
私の住んでいる近くの山城を散策していると、この「三すくみ」が神社やお堂などに配置されているのに最近気がつきました。「三すくみ」についての学術的な論文は見当たりませんが、この「三すくみ」というのは平家の城であったことを物語っているのではないかと考えています。
この下の写真は八王子市とあきる野市にまたがる通称「根小屋城」の周囲の地域で見られる「三すくみ」です。
下の「三すくみ」の絵の作者は不詳ですが、これは平家一族を表しているようです。カエル、もちろん、これは平将門を表しています。何しろ、平将門の首塚にカエルが祀ってあるから、明白ですね。次にヘビ、これは北条家の家紋「三つ鱗」の着物を着ているので、北条家そのものです。ナメクジは出所がよく分かりませんが、平将門、北条と続くから、ナメクジは平家御三家の残り、後北条だということが分かりますね。

Masaka053

八王子市の浄福寺城跡案内

Masaka052

浄福寺城跡界隈で見られる「三すくみ」

Masaka051
どうですか、みなさん。「三すくみ」って、地元の城を守る「根小屋衆」って人々の「合い言葉」のような合図の役割をしていたのではないかと考えますが、どうでしょうか。みなさんのお近くにも平家の城があるんだったら「三すくみ」探しをやってみたらどうでしょうか。
知らず知らずのうちに密教という、とんでもない秘密の扉を開いていることに気がつき背筋がゾクゾクしてきますよ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月22日 (木)

平将門ミステリー紀行(多摩の怪談)

ピョンチャンオリンピックもいよいよ終盤となりました。メダルもたくさん取れて日本のアスリートたちもたいしたもんだ、と陰ながら応援しています。

さて、今日は「平将門ミステリー紀行」も一歩踏み入れて「多摩の怪談」に突入です。
これは、2001年に「けやき出版」から出版されたもので、平将門の記事も載っていましたので、これを参考に現地調査を行ってきました。

1.調査場所
  八王子市上恩方町の将門明神


2.ご神体
  伝:将門の男根(石棒)


3.縁起・ほか
  不明


4.現地案内図(多摩の怪談 参照)

Masakado099

川原宿交差点(ここから陣馬高原へ向かう)

Masakado100

途中に浄福寺城跡がある

Masakado112

途中に「狐塚」があるが詳細不明

Masakado101

目標の「力石」バス停

Masakado102

なんとなく昭和の面影が残っている

Masakado103

「将門神社」入り口は上恩方駐在所脇から入る
(この入り口が迷路となっている)

Masakado111

すぐに石造物群がある
(二十三夜塔には最近まで上部に閻魔様が刻印してあったようです)

Masakado104

ここから山間に向かって登っていく

Masakado105

この草木家墓地を通って、いざ将門神社へ!

Masakado113

道なき道を進む

Masakado107

ようやく神社の姿

Masakado108

境内に入るや否やオーブ現象!
(入り口の扉のところ)

Masakado109

将門神社に額はなく絵馬で分かる
(絵馬のところにもオーブ現象)

Masakado110

5.考 察

この将門神社は地元の人に場所を聞かないと、現場に到着するのは至難の業と言えるでしょう。これは一般的に伝わる平家落ち武者の隠れ里にある特徴を有していると言えますね。また、この日は100枚ほどの写真を撮ったにも関わらず、この境内に足を踏み入れた後のものにオーブが写りだしたので、心霊スポットにみられる反応があったと言えるでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月18日 (日)

平将門ミステリー紀行(間坂)

みなさん、こんにちは。ピョンチャンオリンピックも羽生選手の金メダル獲得で大変盛り上がってきていますね。今、雪国地方の皆さんは大雪で大変そうですけど、嬉しいニュースは何となく明るくなって励みにもなります。
さて、今日は平安時代の風雲児、平将門のミステリーについてお話ししたいと思います。
平将門は一般的には天慶3年(940)に藤原秀郷軍によって今の下野辺りで討ち取られたという説が一般的です。しかし、現在の東京都日の出町の大久野(おおぐの)地区や平井地区を調べてみると、将門の逃避行の痕跡がたくさん残っています。このために歴史上抹殺された将門伝説の謎解きに挑戦してみたいと思います。

先ずはミステリーの扉を開けてみよう

私が将門の逃避行について、その謎解きのヒントとなったのが下の写真にある八坂神社の額でした。この八坂神社は日の出町の隣のあきる野市留原にある神社です。最初はこの額に書かれている文字は八坂神社を篆書体でくずして書いてあるものと単純に考えていましたが、最近の分析から八坂神社の八坂はもうひとつ「間坂」という表現をしているのに気づきました。これが平将門逃避行のミステリーのカギを開けるきっかけとなったのです。

Masaka040

「間坂」とは何か?

間坂は西多摩地方に結構多くみられる坂の名前です。私の住んでいる近くにも3〜4ケ所あります。「間坂」の他にも「馬坂」という表示もみられます。

Masaka031

「間坂」のルーツは日の出町大久野にあった!

この「間坂」のルーツを調べていくと、下の写真にあるように大久野の勝峰山(かつぼやま)に将門が藤原秀郷との合戦の際一夜城を築いたという伝説が伝わっており、この一夜城から青梅に向けて敗走するするときに通った山道が「将門坂(まさか)」と呼ばれ、それが「間坂」や「馬坂」に転化したものと伝えられています。

Masaka047

将門坂の入り口付近

Masaka033

将門坂の馬頭観音

Masaka048

どうですか、みなさん、今日のところはここまでですが、歴史や平将門に興味がある方、是非現地を訪ねてみてください。歴史ミステリーって本当に謎だらけです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧