心霊研究と考古学

2011年9月26日 (月)

縄文人の死生観

霊は不滅なのではないか?

 長野県のM村とK村の古代遺跡を心霊研究という立場で調べているが、この度、「遺跡を学ぶ」シリーズとしてK村の縄文遺跡(国史)の詳細内容が縄文早期の世界として出版された。
これまで、この縄文早期の遺跡は今から遡ること7000~8000年前のものとされていたが、この資料を見ると、それより1500年も古く9500年前との年代が出されていて驚いた。
下の写真はこれまで紹介してきたものでK村の縄文遺跡の前に建てられた百番塔と庚申供養塔である。遺跡は洞窟となっていて一般的に岩陰遺跡と呼ばれているものだ。そして、少なくとも江戸時代の村人たちは、ここに何かの霊が宿っていることを悟っていたので石塔を建てたと考えられる。不思議なことに、この場所で写真を撮影するとオーブがよく写る。
この遺跡は1965年ころから発掘調査が行われており、これまでに12体の人骨が埋葬された形で発見されている。
少なくとも筆者の霊体験からすれば、今から9500年前の遺跡で発見された人骨たちは死後の霊というものは永遠に不滅だと言っているものと考える。

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死者とともに暮らす

 この資料では、下の図のように当時の埋葬状態が描かれたものがあり、この遺跡は墓地だったのではないかということも考えられるが、たくさんの炉の跡や土器、動物や魚たちの骨も出土していることから住居としても使われていたのではないかと述べられている。
要するに、当時の縄文人たちは死者を同じ住居空間の一角に埋葬して暮らしていたということが言える。そして、死者たちは「抱石」という風習で埋葬されていた。「抱石」という風習は折口信夫も著書で述べているが、石に魂が宿るという考え方が既に縄文人のなかにあったからなのではないかと考える。
現代の人間には驚くべき風習としか言えないが、縄文人たちは同じ住居で死者たちとともに暮らしていたのである。

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2011年7月16日 (土)

心霊研究と考古学

ちょっといっぷくでしょうか。

心霊研究をやっていると、考古学やら民俗学のような知識が必要になってくるような気がします。

不思議な現象が起こったり、パワースポットと呼ばれる場所には古代の霊のようなものがあるようです。

東京都あきる野市界隈についても、ちょっと調べてみましたのでご参考まで。

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2011年6月 8日 (水)

縄文人の霊魂研究 2

縄文人は心霊世界のカギを握るキーパーソンである。

 今年の3月に「縄文人の霊魂研究」と題して記事を書いたが、問題の交通事故多発現場を続けて調査した結果、考えていた通り確かに縄文遺跡範囲と一致することが分かった。
現場の写真と地図を下のように並べて検証してみるとはっきりと分かる。ただ縄文遺跡の範囲と交通事故多発現場の相関関係はこれだけの証拠からは見だすことは科学的に難しいが、これまでの調査から他の何かが要因しているような痕跡は見当たらなかった。
この場所の縄文遺跡については縄文土器やら須恵器と呼ばれるものが出土しているだけで、何が行われていたかはよく分かっていないようである。近くでは大規模な遺跡が発見されているが、この場所の界隈だけ小さな遺跡が数ケ所発見されているから何かの用途に使われていたのではないかと思う。
このように不吉な場所を調べてみると、そこに縄文人の痕跡が見え隠れしてくるから心霊研究では古地図などをよく調べてみることが大切だと言える。

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2011年6月 2日 (木)

古代文明の謎と心霊研究

ピラミッドは何故作られたか?

 明晰夢や臨死体験をすると、既に述べたとおり先の尖った山に飛んでいく夢を見ることがある。眠りに入ると自分がまるで鳥になったような感じで羽ばたいて宙に舞う事が出来る。
そして飛んでいく先が必ずと言ってよいほど先の尖った山の山頂だった。この夢も三日連続して起こった。いずれも真夜中のような雰囲気で下には民家のような明りが点在して見えた。
このような体験をしてみると、古代エジプトや古代インカ帝国などで作られたピラミッドを思い起こさずにはいられない。ピラミッドを古代人が何故作ったのかは多くの研究者たちが仮説を唱えているが、未だにどれも結論には至っていない。
明晰夢や臨死体験の夢からいきなりピラミッド創建理由にたどり着くのには問題があると思うが、先の尖った山に飛んでいくシーンを思い出すと先人たちも同じ夢を見て、神のお告げと考えてピラミッドを作ったのではないかと思いたくなる。

道教では何故三匹の虫がいると考えたか?

 道教はその名の通り道の教えであって中国が発祥の地である。その道教の流れを受けて庚申信仰では人間の体内には三匹の虫(三尸:サンシー)がいて庚申の日に天帝に悪口を伝えに行くから寝ずに番をする、というものである。
この三尸についても、先人たちは体内にいる虫(尸)を何故三匹としたのかが疑問となる。陰陽道やら十二支、星占いなどから考えても三という数字はまるで出てこない。
この難問も憑依の終焉で述べたように明晰夢や臨死体験で説明ができる。眠りに入ると暫くして鼻の出口付近でパチンコ玉ほどの大きさの生温かい気体のようなものがいるのに気づく。原因は何かはよく分からないが、これも三日連続して体験する。
そうすると、これは魂のようなものが鼻の穴から我々の脳に出入りしているのではないかと考える。これが三尸だと先人達が考えたのではないか。ピラミッドや三尸の謎、これらは明晰夢や臨死体験をすると謎が解けるような気がしてくる。

世界中調べてみても古代文明とは神話に基づいた国家形成が確認されている。心霊研究はそうしたなかで古代の謎を解き明かすジャンルの一部なのではないだろうか。

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2011年4月 1日 (金)

前方後円墳と古代人の死生観

古代人はどうして【前方後円墳】をつくったのか。

筆者が長野県M村で調査している古墳群らしいものを、ある考古学の専門家に写真を見せて検討してもらったことがあるが、このようにヒョウタンを半分に切ったようなものは余り類を見ないという回答だった。
確かに長野県で発見されている多くの古墳の写真を図書館で調べてみたが奇跡の森にあるようなヒョウタンを半分に切ったようなものは見当たらなかった。
このヒョウタンを半分に切ったような古墳は【前方後円墳】と呼ばれる形式のもので長野県内では余り発見されていない。多くは円墳と呼ばれるものが中心だ。しかしながら奇跡の森には少なくとも30基以上同じものが存在する。これは事実である。
下の写真は奇跡の森に点在する古墳らしいもののひとつで、その概略図を示している。背丈が小さいので現場ではあまり目立たないのが特徴だ。

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【前方後円墳】は古代人の死生観の現れではないか。

奇跡の森で幽霊クリウの調査を続けて、もう9年の歳月が流れているが、どうして古代の人々は奇跡の森でヒョウタンを半分に切ったようなお墓を作ったのだろうということが長年頭を離れることがなかった。
そうこうして考えあぐねていたが、自宅近くに縄文後期と弥生時代の住居跡が公園内にあるとの情報があり、さっそく見学に行った。
下の写真がその公園内にある住居図と住居跡である。看板の説明によると、このような住居は約4000年~3500年前の縄文後期に盛んに作られ、関東地方の南西部から中部高地にまたがる地域に分布していると説明が添えられていた。
いやはや、なんということだろうか、自宅近くに奇跡の森にある古墳の謎を解くカギがあったのである。平面上の形状から見ると両者がピッタリ一致する。
要するに、奇跡の森のかの時代の古代人(縄文人)たちは死後も生前と同じような住居で生活したいと考えたのではないか、直感的にそう感じられた。(後方に見える四角のものが弥生時代の復元された住居跡)

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次の写真は国内最大の仁徳稜古墳で日本を代表する【前方後円墳】であるが、上の写真の縄文人の住居跡と見比べてみても平面の形がよく似ていることが分かる。
それから出入り口も同じような場所に作られており、これらの共通点からみても分かるように【前方後円墳】は日本における古代人の死生観そのものの現れで、それが死後の世界の棲みかとして古代の世界で広まったのではないかと推察できる。

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2011年3月24日 (木)

縄文人の霊魂研究

交通事故多発現場には霊が存在するのではないか?

筆者の自宅近くに交通事故がよく起る場所がある。
近年になって町内会の人々の間に何かの祟りではないかとうわさが広まり観音堂が建立された。
筆者もこの場所で霊魂の憑依を受けている時期に一度追突事故にあった。その他に事故を起こす現場も実際に目撃したことがあり、そこで不幸にも亡くなった人もいる。
その頃はまだ心霊という世界にはいなかったので、そんなに深く考えてみなかったが最近になって心霊のことが多少分かるようになってきたので因果関係を調べてみようと考えたのである。
下の写真と地図がその現場である。何の変哲もない現場なのに丸印の付近で妙に交通事故が絶えない。観音堂には「物故者之慰霊碑」と記された位牌が置いてある。
因縁についていろいろ調べてみたが、この場所は昭和の終わり頃道路の拡張工事が行われたという記録しか見当たらず交通事故も道路拡張工事の後に発生しだしたのも分かってきた。

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縄文時代の「マキ」と「ノベ」という隣接した地名の由来。

筆者が特に疑問を持ったのが、この「マキ」と「ノベ」という地名である。調査を行っている交通事故がよく起る場所近くの地名に出てくる。
そして、筆者が作成した「古代遺跡と霊」のDVDでも紹介しているが、長野県にも南牧村(ミナミマキムラ)の近くに野辺山(ノベヤマ)という地名がある。
この場所も縄文時代の遺跡が多数発見されている場所であるが、不思議なことに「マキ」と「ノベ」が同じように共通して隣接している地域だ。

言葉の語源を紐解いていくと「マキ」はその昔、牧場があった場所だと説明されているものが多い。筆者もそのように考えていたが、近くの「マキ」と呼ばれる地域の遺跡からは縄文草創期に石槍を集中的に製作していた跡が発見されている。
要するに「マキ」とは、その時代に騎馬軍団のような集団がそこで生活していたのではないかと考える。云わば、その部族の軍隊が常駐していた場所である。

それから「ノベ」という言葉を紐解いていくと、日本の一部の地域で近年まで行われていた「野辺送り」という葬送儀式の言葉が現れてくる。
要するに日本古来の風習から察すると「ノベ」とは集団墓地の場所の呼び名である。その昔、村内で死者が出ると村人総出で「野辺送り」と称して行列をくんでノベに行って死者を葬った。(写真参照)

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では、どうして「マキ」と「ノベ」という地名が隣接しているのか調べているが、未だその証拠となる歴史や民族資料にたどり着いていないが、これは、その昔、この場所に小さな国家があった証なのではないだろうか。これまで調べた筆者の私見からすると「マキ」と「ノベ」が隣接しているのは、その小さな国家で近隣の部族間の争いや国内で死者が出ると「ノベ」と呼ばれる場所に亡骸を葬って村の守り神にしたのではないかと考える。(イメージ参照)

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要するに調査中の交通事故が多発する場所には縄文人の「マキ」と「ノベ」の痕跡があった。そこに縄文人の何らかの霊が存在するから、その霊が災いして交通事故が絶えないのではないかと考える。心霊研究においては縄文人は死後の世界を謎とくキーパーソンだと言える。さらに心霊研究では心霊スポットと昔から伝えられている場所では、地名などからその痕跡を調べることも筆者は重要なテーマだと考えている。

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2010年8月24日 (火)

縄文人と霊の芽生え

我々、人類の霊はひょっとして縄文時代に芽生えたのではないか?

その霊とは何か?死後の生命再生なのではないか、それは古代縄文人が死者を墓地に埋葬しだしたころに芽生えたのではないか。
これまで心霊研究の一環として数箇所の石塔、石仏の調査を行ってきたが「道祖神」については、よく分っていなかった。その道祖神に注目してみると日本人の民俗信仰というか民間信仰の礎となっているのは、どうやら、この道祖神なのだということが分ってきた。
そして、これまでの調査から各地の路傍で見かける石塔、石仏の多くは江戸時代の産物であるものが多く、道祖神もそのなかのひとつと思われた。
しかしながら、道祖神にはこれまで調べてきた庚申塔やら百番塔などのように建立した目的がよく分からなかったが、いろいろ調べてみると道祖神は縄文時代まで遡ることができる信仰だと分った。

道祖神は道を守る神である。塞(さえ)の神ともいい、サエはさえぎることであり、村境に立ち悪霊の侵入を防ぐ神である。このようにインターネットで調べてみると紹介されている。要するに村の守り神である。

下の写真は「道祖神は招く」(山崎省三:新潮社)に紹介されている山梨県北杜市にある金生(きんせい)遺跡の写真である。この写真からも分るように男性のシンボルマークをした石棒が遺跡の中に建立されている。これは道祖神が何かの祭祀として既に縄文時代に行われていた証拠である。
いっぽう、筆者が霊体験した長野県M村やK村は北杜市からそう遠くはない場所だ。そこには古代の縄文、弥生時代の遺跡、古墳が多数発見されている。そのひとつで筆者は霊体験した。人類の起源は今から500~600万年前だとする説が現在は有力であるが、人類に霊が芽生えたのは僅か1万年~2万年前だったのではないか、縄文時代の遺跡から発見された祭祀跡の道祖神の陽石が、そのことを我々に伝えているのではないかと思う。

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2010年2月 6日 (土)

白保竿根田原遺跡と心霊研究

先日、テレビのニュースで沖縄・石垣島の白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡から2万年前の人骨が発見されたとのビッグニュースが流されていた。
このニュースは考古学に興味のある方や研究者には大きな驚きであったに違いない。筆者もこのニュースには心霊研究家として注目した。
それは現在、筆者が調査している長野県M村とK村の古代遺跡と何か結びつくものがあるように思えるからだ。それは「死後存続」というキーワードでもある。
この長野県のM村とK村の古代遺跡は、近年、偶然に発見されたものではなく少なくとも今から200年ほど前の江戸時代から村人たちが、そこに神々が宿っていると信じていた場所でもあった。
石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡の発見は、新しい空港の建設工事で偶然に発見されたと紹介されているが、その発見説には筆者は大きな疑問がある。
それは筆者が生まれ育った長崎県佐世保市にある泉福寺洞窟遺跡にある。この遺跡は今を遡ること旧石器時代のものであって12000年くらい前の遺跡である。
筆者もこの遺跡は中学生の頃何度か行ったことがあるので今でもよく覚えている。ウィキペディアを読むと1969年に地元の中学生によって発見されたと解説されているが、この発見時期は間違っている。何故なら筆者が幼少期を暮らしたころ、すなわち1969年以前から、この泉福寺洞窟の存在は地元の人は昔からの言い伝えでその存在を知っていたからである。
このように長野県M村とK村で偶然出会った古代遺跡や長崎県佐世保市にある泉福寺遺跡にみられるように、少なくとも江戸時代の頃からその時代の人々は、そこに神々や霊魂の存在を認識していたのは疑いのない事実なのである。
心霊研究の立場からも多くの古代遺跡が発見され、そこから人骨が発掘されているように、そこに霊魂の存在がないと説明できないことが間違いなくあるように思う。「死後存続」のように心霊研究は古代遺跡が発見された場所で、考古学と同じように調査することも必要なフィールドワークだと考えている。
写真は長野県K村にある7000年~8000年前の縄文遺跡で、ここから昭和40年の発掘調査で12体の人骨が発見されている。この遺跡の前には江戸時代の村人が建立した鳥居や供養した石塔が今でも残されている。

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2009年10月18日 (日)

古文字と心霊研究

Bonji003 「古代遺跡と霊」について筆者が制作したビデオをもとに映写と説明を先月実施したが、心霊研究を行ううえで先ず壁によくぶち当たるのが石塔や仏画などに刻まれている古文字ではないかと思う。
奇跡の森にある「百番供養塔」に刻まれている古文字は僅かな文字だったが解明に三年ほどかかった。これは石に刻んである文字が光の加減で見えたり見えなかったりするからだ。
南米の遺跡調査では研究者は夜に出かけていって懐中電灯で文字を照らし出して解読しているようである。これほど古文字を解読するのは難しく容易ではない。
先に紹介した佐久観音霊場にあった石碑の文字も同じであった。本当に古文字は何が書いてあるのか専門家でないから直ぐに閃いてこないから大変だ。
週末、近くの図書館へ出かけて「梵字」に関する書籍を読み漁ってきた。「梵字」というのはお墓の塔婆などによく描かれている不思議な文字というか絵模様のような文字だ。
最初、この石碑に書かれているのは七人の神々だろうと考えていたが添付の写真に説明している通り、オン・アロリキャ・ソワカ(聖観音真言)のことだとようやく判明した。
このように石塔や石仏、遺跡などに書かれている古文字が何を語っているのかが分れば、心霊研究にも大いに役立つものと考えている。民俗学や古代史、考古学の若干の知識も必要である。

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2009年8月13日 (木)

古墳と古代ロマン

Kofun013 先に古墳のミステリーという記事を書いたが、長野県M村で発見した前方後円墳について写真を添付して専門家に検証してもらった。
結果は思っていた通り写真だけでは判断が難しいということだった。そして、筆者が前方後円墳と判断した小規模の古墳は国内で発見されていないということである。
話は変わって奇跡の森から8Kmほどの下流域で発見されている7000~8000年前の縄文遺跡から出土した土器の一部に他に類を見ない土器があり、この土器には仮称R式土器という固有の名称がつけられている。
挿絵に筆者が調査中の前方後円墳の平面図をイラストにしてみたが、このような古墳は国内ではまだ発見されていない形式のものではないかと思う。縄文土器の特殊性や筆者が発見した前方後円墳から考察してみると、この長野県M村の住民のご先祖は一体全体何ものだろうか。恐らく渡来人ではないか。
今日はお盆の入りだ。このような古墳を調査していると長野県M村のご先祖様はその昔、古代高句麗から遠く海を渡ってこの日本に移り住んだ民族だったのではないかと、ちょっとした古代のロマンを思い浮かべている。
恐らく考古学者たちは遺跡や古墳を発掘しているときは、筆者と同じようにその時代の人類の姿や景色に古代のロマンを追い求めているに違いないだろう。

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