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2018年2月18日 (日)

平将門ミステリー紀行(間坂)

みなさん、こんにちは。ピョンチャンオリンピックも羽生選手の金メダル獲得で大変盛り上がってきていますね。今、雪国地方の皆さんは大雪で大変そうですけど、嬉しいニュースは何となく明るくなって励みにもなります。
さて、今日は平安時代の風雲児、平将門のミステリーについてお話ししたいと思います。
平将門は一般的には天慶3年(940)に藤原秀郷軍によって今の下野辺りで討ち取られたという説が一般的です。しかし、現在の東京都日の出町の大久野(おおぐの)地区や平井地区を調べてみると、将門の逃避行の痕跡がたくさん残っています。このために歴史上抹殺された将門伝説の謎解きに挑戦してみたいと思います。

先ずはミステリーの扉を開けてみよう

私が将門の逃避行について、その謎解きのヒントとなったのが下の写真にある八坂神社の額でした。この八坂神社は日の出町の隣のあきる野市留原にある神社です。最初はこの額に書かれている文字は八坂神社を篆書体でくずして書いてあるものと単純に考えていましたが、最近の分析から八坂神社の八坂はもうひとつ「間坂」という表現をしているのに気づきました。これが平将門逃避行のミステリーのカギを開けるきっかけとなったのです。

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「間坂」とは何か?

間坂は西多摩地方に結構多くみられる坂の名前です。私の住んでいる近くにも3〜4ケ所あります。「間坂」の他にも「馬坂」という表示もみられます。

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「間坂」のルーツは日の出町大久野にあった!

この「間坂」のルーツを調べていくと、下の写真にあるように大久野の勝峰山(かつぼやま)に将門が藤原秀郷との合戦の際一夜城を築いたという伝説が伝わっており、この一夜城から青梅に向けて敗走するするときに通った山道が「将門坂(まさか)」と呼ばれ、それが「間坂」や「馬坂」に転化したものと伝えられています。

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将門坂の入り口付近

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将門坂の馬頭観音

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どうですか、みなさん、今日のところはここまでですが、歴史や平将門に興味がある方、是非現地を訪ねてみてください。歴史ミステリーって本当に謎だらけです。

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