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2017年1月10日 (火)

檜原村の金銀埋蔵金の行方(序章)

金銀埋蔵伝説のロマンがある檜原村

みなさん、こんばんは。今日は心霊研究もいっぷくして東京都檜原村に伝わる金銀埋蔵伝説についてお話したいと思います。今回は以前このブログでも取り上げた金銀の埋蔵伝説について、さらに掘り下げて序章、検証、考察に分けてお話しします。

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檜原村の地名の起こり

この村を象徴するものは大岳山(標高1266,5m)である。大岳山には日本武尊(ヤマトタケル)を祭神とする大岳明神がある。この大岳明神というのは尊の父、景行天皇が尊が征戦に明け暮れて三十歳にもならぬ若さで早世したことを悲しみ、尊の足跡の地を廻られて、その霊を祭られたところである。これは旧記にみえるところである。~(略)その神地の名として景行天皇の宮居、大和国磯城郡纏向村(しきぐんまきむくむら)にあった纏向檜原宮(まきむくひばらのみや)の名を移したのではないかと思うのである。(檜原・歴史と伝説(炭焼村の生活史) 小泉輝三朗著 武蔵野郷土史刊行会より)その他の説として日野村(現東京都日野市)に居館を構えていた平山一族が足利氏の命を受けて城を築き檜原村を支配していたことが記されており、古文書などにも日野原村という地名が出てくるので、ここから現在の檜原という地名が起こったのではないかという説もあります。

檜原村の金銀埋蔵伝説

先ずは、檜原村に伝わる金銀埋蔵伝説を紹介しておきましょう。「沢又には朝日伝説という金銀埋蔵伝説がある。朝日伝説という名は便宜上私がそう呼んだので、そういう名で伝承されているのではない。地下に埋蔵の金銀がある。その埋蔵の場所は<朝日さし夕日かがやくその奥に行って帰って杖の下>という歌で示されているのだが、まだ誰も歌の謎を解いた者がなくて、金銀は埋められたままだと言われている。そして、この金銀は檜原城主が生き残るわが子のために城に伝わる金銀を沢又地内のどこかに埋めたのだという方向に謎を解こうとしている伝説である。」(檜原・歴史と伝説(炭焼村の生活史) 小泉輝三朗著 武蔵野郷土史刊行会より)
また、村人の口伝によれば金銀の財宝は朱千樽、漆千樽に収められて埋蔵されています。

古地図から何か分かるだろうか

沢又地区(赤丸印)は檜原村の北谷側上流にあり、昭和50年代に埋蔵金発掘ブームがあったころ白岩というところで調査をしていた人が江戸時代の古銭を発見したという記録が残っていますが、それは小規模なもので二千樽もの金銀には全く手が届かないものでした。残念ながら、檜原村に残された古地図には、そのような手掛かりはみられませんね。

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