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2016年7月24日 (日)

魂のレイラインの謎にせまる

身近にあるレイラインを探そう

みなさん、こんにちは。今年は東海、北陸まで梅雨明けしているのに関東地方はまだ梅雨空が続いています。さて、今日は私の住んでいる東京都あきる野市で発見した魂のレイラインについてお話します。レイラインとは古代の人々が創りあげた離れた宗教遺跡などをつなぐ直線を指してそう呼ばれていますが、未だに謎が多く世界中で研究が行われているものです。そのレイラインが私の住んでいるあきる野市にもあることが分かって驚いているところです。とに角、心霊研究をやっていると驚きというか昔の人々の考えた死生観というものが直接目の当たりにできて感慨深いものがありますね。下の地図のように①~⑤がレイラインが確認できた場所で2kmほどの場所に点在しています。

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死者を待つ神社

秋川市(現あきる野市)地名考(昭和58年発行)によると地図①に示す雨武主(あめむしゅ)神社の参道近くに死人(しぶと)沢というのがあったことが記載されています。この場所を何度か調べてみましたが辺りに祠などの目印となるものは見つけることができませんでした。私の考えでは、この場所はその昔、間もなく死期を迎える人々を受け入れた場所なのではないかと考えています。

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北枕の方角を向く神社

これまで、あきる野市内の神社50社ほどの方角を調べてきましたが真北の方角を向いている神社は、この雨武主神社しか確認できませんでした。日本人は死者を寝かす際に頭の方向を北に向け「北枕」と昔から伝えているように、神社が北枕の方角を向いているのは死者の為ではないかと考えています。

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鳥居場と遥拝(ようはい)所

上の地図で示しているように雨武主神社には秋川を挟んで「②鳥居場」、小宮神社には平井川を挟んで「③遥拝所」が設けられています。このように「鳥居場」と「遥拝所」をわざわざ設けたのは、一方が神式、片方が仏式というように日本人が昔から崇拝した神仏習合が背景にあるものと考えています。
あきる野市雨間にある「鳥居場」

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鳥居場から見える雨武主神社

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あきる野市原小宮にある「遥拝所」

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辻地蔵と「捨て場」跡

「捨て場」というのは両墓制のところでも述べているように、江戸時代まで一般の人々は自分の墓を持つことができませんでした。従って、お寺には「詣り墓」という名称で石塔や地蔵を各家ごとに持ち寄り一般的な供養はそこで行っていました。いっぽう、遺体を葬った村の共同墓地を「捨て場」とか「捨て墓」と呼んでいましたが、その場所には墓標のようなものは一切なく、代わりに共同墓地の入り口には辻地蔵を建てて目印にしていたのです。驚かれるかも知れませんが、みなさんの近くにある辻地蔵は両墓制の名残なのです。

「捨て場」入口にある辻地蔵

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「捨て場」跡地(現在市民プールになっている)

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川向こうにある楽園

では、どうして昔の人々は川を挟んでお祈りをしたのでしょうか。それは、死後の世界が通称「三途の川」を挟んで「この世」と「あの世」に分かれていると考えていたからだと考えています。このような発想はキリスト教の世界にもあって、youtubeにも紹介されています。一例としてエミルー・ハリスが歌っていた「when they ring those golden bells」に表れています。詩の内容は「川の向こうに永遠の楽園と呼ばれる場所がある・・・」こんな感じですね。西洋、東洋を問わず人々は川を挟んでお祈りをしていたことがよく分かりますね。どうですか、みなさん、昔の人々が考えた魂のレイラインの謎が分かりましたか?

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