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2015年5月24日 (日)

迷信浪漫(祟り)

あなたは祟りを信じますか?

 祟りというと多くの人たちのなかには似非科学だと考える人たちがいますが、でも、心の片隅には誰でも、霊は祟る、すなわち、御霊信仰(ごりょうしんこう)を持っているのです。従って、墓場、斎場など陰気なところには余り行きたがりませんね。祟りというと平将門の首塚が有名ですが、現実的に祟りを体験した人の話しは余り耳にしませんね。
でも、実際に私たちの身の回りで現実的に祟りは起っているのです。これらを、できるだけ科学的に調べていくのも心霊研究の課題なのです。

祟りの事例

○もう一つのふしぎなこと
さて、君たち、最後にもう一つふしぎな体験を述べて、私の話を終わることにしよう。岩谷十八夜観音資料の調査研究も一段落したし、国指定にもなって、ほっと一安心し、あわただしかったわが家の生活もやっと落ち着きをとりもどしたところであった。なぜかまた、妻が真夜中のきまった時刻にうなされるようになった。薬のせいでもないようだし、心あたりになるような原因はなにも考えられない。毎晩毎晩うなされるので、うんざりしながらも、なんともふしぎなことだと思っていた。ところが、ちょうどそのころ、私の家の前を通っている町道が拡幅されるため、私の家の前庭がけずられることになり、造りなおさなければならなくなった。そのため、庭師が入って土や石を動かし、庭木の移植をしていた。前庭の中央付近にひらぺったい、大きな石が置いてあった。私が子ども時代に、よくこの上に上がったりして遊んだ石である。その石を動かすため、ひっくり返したところ、裏側に文字がきざんであった。見ると、なんと「十八夜供養塔」だったのである。年号は宝暦三(一七五三)年で、私が調査した中山町の十八夜塔のうちでは、もっとも古いものの一つであった。おそらくは、天台宗の寺であった私の家が、明治維新の際に神職に変わり、廃仏き釈といって、祭ってあった仏教に関する物をすべて処分しなければならなくなったときに、庭石として再利用されたものであろう。それにしても、岩谷十八夜観音資料との出会いからその歴史を調べるようになり、各地の十八夜塔を熱心にたずねあるいた私の家から、このような十八夜供養塔が出現したということは、昔、寺だったのだから当然といえばそれまでだが、なんともふしぎなことであった。そして、もっとふしぎなことには、この十八夜供養塔が発見されたその晩から、妻は、真夜中にうなされることが、けろりとなくなったのである。これはほんとうの話で、いま、その十八夜供養塔は、私の家の畑のところにちゃんと建てて祭られており、私と妻が十五年間もひたむきにうちこんだ仕事のなによりの記念碑となっている。このように、私たちの生きている世の中には、まだまだふしぎなことがいっぱいある。そうしたものも、医学や科学の発達によって、やがては解明されてゆくことだろう。しかし、昔、迷信としてかんたんに切り捨ててしまったもののなかに、現代医学や現代科学のなぞ解きに役立つだいじなものが、たくさんあったのだ。その中のいくつかは、いまでも残っているのかもしれないのである。(霊をよぶ人たち 烏兎沼宏之 ニニ七頁 筑摩書房)

Spirits023

どのような注意が必要か

平安時代の作庭記には「もと立てる石をふせ、もと臥せる石を立てる也。かくのごとくしつれば、その石かならず霊石となり、たたりをなすべし」(藤原頼通の庶子・橘俊綱)に(石を扱うについての注意)が記されています。自宅の隅に昔からある石や石造物には注意が必要ということですね。

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