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2013年3月 1日 (金)

一村一刑場と見分け方

刑場跡の見分け方

 先に村の処刑場という記事で説明したとおり、これまで近隣の市町村を調べてきたが間違いなく昔は村単位で刑場があったと確信している。
その場所は村はずれの曲瀬(くせ)と呼ばれる道がカーブしている場所、及び辻(つじ)と呼ばれる交差点で、いずれも昔の街道沿いにある。
そのような場所に地蔵や祠が祀ってあって、地元の民話などで殺人事件などが伝えてあれば、ほぼ間違いなく昔の刑場跡だと考えることができる。要するに一村一刑場の考え方では我々の周囲には刑場跡が俗な言い方をすれば「ごろごろある」と言う事になる。
下の図が、その場所のイラストである。このような場所では道路工事の後などで不思議なほど交通事故が多く発生していることを注視する必要がある。

Kuse002

交通事故との関連性

 恐らく多くの街道沿いの曲瀬や辻と呼ばれる場所で、そこに地蔵や祠が祀ってある場所には交通事故が頻発していると言い伝えがある。
東京の檜原街道のところに伝えられている言い伝えをひとつ紹介してみよう。

「古老の言に依れば、この地には明治40年頃に街道交通の車馬の安全を願い馬頭観世音像を祀り以来長く安置されてあったが、昭和34年の伊勢湾台風の折、土砂崩壊のため、その頭部を折損、修復後の昭和40年、道路工事の際、またまた頭部を折損し行方不明となったため、像を撤去したる後は交通事故多発し多くの死傷者を出すに至った。」とある。

曲瀬にみられる刑場跡

Kuse003

辻にみられる刑場跡

Kuse004

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