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2013年1月 4日 (金)

霊は縄文にあり

新年あけましておめでとうございます

下の写真は長崎県佐世保市の海に広がる九十九島からの日の出の写真です。地元の民話では大晦日に100の島が集まって宴会をやろうということになり、のんべえ島が選ばれて酒を買いに行ったものの、途中でのんべえ島が飲みたくてこらえきれずに、買った酒全部飲みほして寝てしまい帰ってこなかった。そこから九十九島という名前がついたと伝えられています。
ところが、日本の信仰の世界では九十九というのは祈願成就のことを指しています。その九十九の島の間から新年の朝陽が差し込んでくるわけです。お祈りをすれば何かいいことがあるかも知れませんね。

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霊は縄文にあり

 今年は「霊媒」というものを掘り下げて研究しようと考えています。霊媒というものは丁度、化学の世界で起る「触媒現象」のようなものだと考えています。これは昨年の日本超心理学会で発表したもので、私たちが不思議な体験をするのは、この「霊媒」というものが存在するためなのだろうと考えられるからです。
これまでの心霊研究では、いきなり霊魂や幽霊そのものを究明しようと研究が行われてきましたが、これではとても遠回りになるかと思います。先ずは不思議な体験をした人々が何をしてそうなったのかを解明していくのが肝心です。

下の写真は縄文遺跡から発見されている「ミシャグチ神」という守り神です。この神様は旅芸人などの守り神だとも言われています。すなわち縄文時代の人々はすでに信仰を持っていたという証拠です。

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下の写真は現代の我々でも身近に目にする柄杓(ヒシャク)です。このヒシャクこそミシャグチ神そのものだと言われているもので、昔の人々はこのヒシャクを持って巡礼を行っていたと言われています。要するにヒシャクは旅人の守り神なのです。
縄文の時代から永遠と続いている民間信仰、このなかに「霊媒」のヒントが隠されているかもしれません。

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当ブログへ来訪いただいた皆さま、霊媒に関することで何かあれば、ご意見、コメントをお願いします。今年もどうぞよろしくお願いします。

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コメント

新年明けましておめでとうございます。
縄文人の自然への崇拝はアミニズムと言われています。
日本は神道をはじめとする自然への信仰が深いので霊的な情報が多い国でると思います。
祟りや不可思議な事故が多い場所について因果関係を調べていくのも重要ではと思います。

投稿: サラスワティ | 2013年1月 5日 (土) 18時14分

サラスワティさん、今年もどうぞよろしくお願いします。

昔の人々は神事において、我々現代人に様々な謎かけを残しています。上の写真のミシャグチ神もそのひとつです。どうして両目がつり上がっているんでしょうね。身近なところを考えてみると歌舞伎役者たちの化粧した目の部分の多くがつり上がっているようにも見えます。旅芸人と歌舞伎役者はどこかでつながっているものと思います。

もうひとつは「ヒシャク」です。上の写真にあるように神社の神前に供えられているヒシャクはどうして11本なのでしょうか。11という数字をたどっていくと鍛冶屋という職業にたどり着きます。

このように昔の人々が残した謎かけをひとつづつ謎ときしていくのも心霊研究ならでわのことのように思います。

今年もどうぞよろしくお願いします。

投稿: 管理人 | 2013年1月 6日 (日) 14時56分

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