煩悩はどうして百八なの?
煩悩はどうして百八なの?
いよいよ大晦日まじかになりましたね。
ここで、大晦日に私たちは百八の煩悩というものを肌で感じることになります。ではどうして煩悩の数は百八なのか調べてみましたが、いろいろ探しましたがどの文献にも仏教からきたもので人間には百八の煩悩がある、というところまでしかたどり着けませんでした。
そこで、私なりにこれまでの心霊研究から推察してみることにしました。
まず、先祖が遺した百番巡礼というものを検証してみましょう。これは鎌倉時代にその礎が完成したと言われているもので、西国33ケ所、坂東33ケ所、秩父34ケ所を巡礼することによって祈願成就すると信じられていた日本の民間信仰です。
この百番巡礼というものは、巡礼地のひとつひとつに意味があると言われています。これが百の煩悩なのではないかと考えます。
次に残り八つの煩悩を考えてみましょう。下の写真にあるようにサイコロの起源は古代ギリシャと言われています。そのサイコロのサイ(Psy)は同じくギリシャが起源です。
サイコロは賽の目とも言われるように1から6までの数が六面に刻まれています。そして、その面の表と裏の数を足すと、それぞれ7という数になるようになっています。これは道教や仏教などで伝えられている「六道七界」と呼ばれるものです。私たちの人生には六つの生き方があって、七番目が、すなわちあの世ということになります。
そして、その先は「七転び八起き」と呼ばれる輪廻転生があります。従って、百番巡礼と輪廻転生の八を足すと百八という煩悩の数になると考えます。
これは、私個人の調査から紐解いたもので、他に説があるかも知れません。でも心霊研究をやると、このようなことが身近に分かるようになりますね。みなさん、今年はどのような年だったでしょうか。百八の煩悩、分かりましたでしょうか。健康で幸せな良い年をお迎えくださいね。
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