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2011年12月

2011年12月22日 (木)

修験道と心霊研究

「霊媒」とは何か?

 2011年も残すところ僅かとなった。今年の心霊研究は「霊媒」に主眼をおいて調べてきたが、まだその糸口はよく見えていない。今年の反省点である。
何故、我々は現代科学で説明できないような不思議な体験をした人々が周りにたくさんいるのに、それを調べようとしないのだろうか?その不思議な体験ばかりに気を取られて、本質の「霊媒」が背景にあることを見逃してしまったのではないかと考えている。
来年は、その「霊媒」について今年と違った角度で調べていきたいと思う。

心霊研究には修験道が必要だ

 これまでにいろいろな場所に出かけてフィールドワークをやってきたが、不思議な体験をする場所は多くが山中であった。先日、近くの山林に出かけて、その山中で不思議な体験があった。
この場所(写真参照)は筆者がサイクリングを兼ねてよく通う場所なのであるが、いつも5~10分程度山中に入って静かに過ごしている。そのときに初めての体験だったのだけれども、いつもと違って杉の葉が雨のように数分間、周りに降ってきて感動した。本当に雨が降ってくるように杉の小さな葉たちが小さな音を立てて降ってきた。
このような体験はいつも起こるような事象ではなく、現場に出かけていると時々そのような体験がある。体験というか周りに何かがいることを感じる瞬間である。昔のマタギたちが体験したような不思議な出来事が必ず山中には存在する。
そして、古来から伝えられている修験僧たちが山中で修行し体験した不思議な出来事の数々。このような不思議な出来事は「霊媒」が関与しているかどうかよく分からないが、同じ場所に通いつめると多くの人が体験すると思う。
何故、山中でこのような不思議な体験があるのかよく分からないが、心霊研究を目指す人たちは先ず身近にある山中のなかに身を入れて不思議体験をしてみたらどうかと思う。
フランスの詩人、シャルル・ボードレールの詩はそのことを我々に伝えているのではないかと思う。

「自然」は一つの神殿、その生ける柱は
時折おぼろなる言葉を漏らす。
人が象徴の森を過ぎてそこを通るとき、
森は親しげな眼差をもって彼を見守る。

         シャルル・ボードレール

Ghost336

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2011年12月12日 (月)

幽霊にかんする素朴な疑問

交霊は再現できるか

 世のなかには幽霊たちを恐怖の象徴としてバラエティに面白く、怖く紹介している人たちがたくさんいる。心霊研究のためにいろいろなところに出かけて取材や調査を行っていると、多くの人がそのような視線で質問したり話しかけて来る。
心霊研究においては幽霊そのものが、まるでモンスターのような化け物としてこれまでに取りだされるケースが多いから科学的な調査がなおざりにされてきたのではないかと思う。今日でも下の写真のように幽霊たちは面白おかしく紹介されるケースが多いので幽霊というものは非科学的な存在だと考えている人が多いのではないかと思う。
幽霊について素朴な質問がよく出されるのは「それでは幽霊をここに連れて来て欲しい。それから信じましょう」という要求である。要するに幽霊遭遇の再現性の問題だ。ここで多くの心霊研究家たちは再現させることが出来ず、とん挫してしまう。

Ghost332

交霊は再現できる

 交霊の再現のひとつが前にも述べたように聖なるオーブたちの存在である。オーブが写真によく写るという人たちが私達の身の回りに何人か間違いなくいる。その人たちを探し出して再現実験をやればいい。彼らが写真に写すオーブたちは、それが自然界では起り得ない霊たちの姿を我々の前に再び見せてくれていると考えるべきである。写真のオーブは幽霊ボンボリを調査中に出てきたもので、人が近くにいるときは姿を見せなかった。

Orb333

幽霊たちは臆病者である

 交霊の再現性が乏しいのは彼らが臆病者であるからだ。臆病者というよりも生きた人間に接するのに危険を要すると考えるべきだ。例えば写真にあるように渓流に住む岩魚たちのことを考えてみよう。
彼らは冷たい水のなかでしか生きていくことが出来ない川魚たちである。私達が渓流釣りをして彼らを釣り上げて手にしたとき、彼らの身体は人間の体温でまるで火傷のようなダメージを受ける。長く手に持っていたり、外界に身をさらすことは彼らにとって低温動物だから特に被害は甚大だ。
これと同じことが幽霊たちの世界で起こっていると考えることができる。彼らは我々と違って肉体をもたないし体温というものがない。だから彼らは体験者が一人、二人と少人数の場面を見計らってダメージを受けないように姿を現すと考えるのが自然である。

Fish112

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2011年12月 8日 (木)

幽霊は独り歩きするか?

幽霊は独り歩きはしない

 さまざまな幽霊にかんする写真や動画をインターネット上で検証してみると彼らが家の窓ガラスから顔を覗かしていたり夜の巷をさ迷っているようなものがあるが、これらはどれも偽造されたものである。
なぜ、このようなことがはっきり言えるのかは実際に霊体験をしてみるとよく分かる。筆者も奇跡の森を7年間調べてきたが、幽霊たちが独り歩きするような光景はなかった。この調査からも言えるように幽霊たちは用もなく巷を独り歩きしたり、窓の外を用もなく眺めたりすることはしない。姿を物理的に現すのには周りの粉じんなどを集めたりするエネルギーが必要となり彼らにとっては大変な労力を要するからだ。
したがって、心霊研究においては、これらの写真や映像は先ず偽造とみなして対応すべきである。

Ghost335 

幽霊は体験者の前にのみ姿を現す

これまでに筆者が出会った幽霊たちは、いずれも筆者のすぐ近くにいた。幽霊クリウは筆者のすぐ横にいて写真を撮ろうとしたときに山道を横断していったし、幽霊ボンボリはカメラのレンズに付着するように現れている。したがって、幽霊たちは体験者のすぐ目の前にいた、と考えるのが筋である。
幽霊たちは体験者に用があって現れるもので、それ以外では姿を現すことはないと考えるべきである。彼らが体験者の前に姿を現すのは、その理由を調べるのも心霊研究では必要である。

Ghost334

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2011年12月 3日 (土)

霊と遺伝子

不思議体験は脳科学で説明できるか?

 先日、NHKで放映された超心理学にかんする二つの番組(奇跡の生還、ありえない偶然ミステリー)を見て感じたのであるが、いずれの番組も共通した点は「脳科学」による分析だった。
人類の不思議な体験を科学的に捉えようとするならば、確かに「脳」の働きを調べることは理にかなっている。しかしながら、筆者のように自身で霊体験をしてみると「脳」の医学的な世界だけでは説明できないものが多いと思う。
そのひとつが「家系図作成」である。この家系図作成に関わった人間が筆者と同じような不思議体験を同じ時期にしたからだ。これは単純に「脳科学」というもので説明できるだろうか。

不思議体験は「遺伝子」が関わっているのではないか?

 このように不思議体験を集団で体験すると前にも述べたとおり「霊」には「場」という霊媒力が働いているのではないかと考える。その「場」の霊媒力で、我々の体内の遺伝子が何らかの影響を受けて、一部が霊体に変化して寄霊現象が起こり、脳がそれらを感知しているのではないかと考える。したがって、脳が感知するのは二次的なものにすぎない。心霊研究では遺伝子の不思議な働きをつきとめるのも、ひとつの手段である。
この考えはオリバー・W・ホームズが遺した言葉から発想した。

遺伝

遺伝はわれわれ先祖が
全部乗っている乗合馬車である
時おりその馬車の一人が首を出して
われわれを当惑させる

     オリバー・W・ホームズ
      (訳:石川弘義)

(画像は下記から参照)
東京女史医科大学付属遺伝子センター
http://www.twmu.ac.jp/IMG/about-gene/about-gene.html

Dna220

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