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2011年7月

2011年7月23日 (土)

古い金鉱と幽霊伝説

東京都西多摩郡檜原村に伝わる金銀埋蔵伝説。

お隣の国、朝鮮半島には「古い金鉱には幽霊が出る」という伝説がある。その伝説は確かだろうか。これまでの心霊研究から得られた証拠をもとに、かつて檜原村に隠し金山があった、ということにたどり着いた。

以下は檜原村に伝わる金銀埋蔵伝説である。

沢又(藤原)には朝日伝説という金銀埋蔵伝説がある。朝日伝説という名は便宜上私がそうよんだので、そういう名で伝説されているのではない。地下に埋蔵の金銀がある。その埋蔵の場所は【朝日さし夕日かがやくその奥に行って帰って杖の下】という歌で示されているのだが、まだ誰も歌の謎を解いた者がなくて、金銀は埋められたままだといわれている。そして、この金銀は檜原城主が生き残るわが子のために城に伝わる金銀を沢又地内のどこかに埋めたのだという方向に謎を解こうとしている伝説である。(檜原・歴史と伝説:武蔵野郷土史刊行会編)

これはたんなる伝説ではなくて、過去に実際発掘に挑戦した人間がいたのも事実である。

隠し金山の主な証拠

これはミステリアス・ビレッジでも紹介したが主なものは次の通りである。

①石仏(脱衣婆:ダツエバ)の存在
 檜原村の小沢というところに宝蔵寺があって、その一角にこの石仏が置いてある。脱衣婆というと地獄の閻魔さまの付き人で地獄に落ちてきた人間たちの着物をはぎ取る役目の神様である。神様と言うより悪魔的存在である。
この脱衣婆は当初、そんなに疑問を持っていなかったが、全国的にみても建立されている例は数少ない。では、どうしてこのような山奥に脱衣婆を建立したのだろうか。いろいろと調べていくうちに、この脱衣婆は遊女たちの商売神として崇められているのが分かった。そして、その近くは遊郭があった場所だとも分かってきた。
従って、檜原村にかつて遊郭があったということが脱衣婆から浮かび上がってきた。そして、その近くにはかつて温泉が出ていた。

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②口留番所の存在
 檜原には昔、関所があって往来の人を調べた。関所とはいっているが、本当は関所ではなくて、大宝令にいわゆる桟所(サンショ)というべきものであった。通行の人を調べて過書(関所手形)を持つものは通し、持たないものは禁ずるというのは関所であり、関所手形を持つ持たないにかかわらず、人いっさい通行を禁ずるというのが桟所である。檜原にあったのは檜原口留番所というもので、村の者以外一切の通行を禁ずるというもので檜原口留番所といわれた。大島延次郎「諸国御関所書付」は徳川氏関東入国の時、五十五ケ所の関所を設け、そのなかに檜原ただ一ケ所だけが、いっさいの通行を禁ずる口留番所であった。
(檜原・歴史と伝説:武蔵野郷土史刊行会)より
このように檜原村の口留番所がいかに人と情報の管理が厳しかったのがよく分かる。

③庚申場の存在
 庚申信仰には有志で庚申溝や庚申待溝と呼ばれる溝を行った証に庚申塔や庚申堂を建てる風習が昔から見られるが、檜原村には北谷にかつて「庚申場」という地名があったことが分かっている。なぜ「庚申場」なのか、それは庚申信仰にでてくる三猿(見ザル、言わザル、聞かザル)が背景にあると思う。檜原村の北谷に来た者たちは庚申場で厳しい三猿たちの洗礼を受けたに違いない。

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以上のような証拠をそろえて檜原村の郷土資料館に資料にまとめて報告した。今回の調査で金鉱の場所も大まかに特定できた。近くには位牌山伝説がある場所だ。朝鮮半島に伝わる伝説は本当なのではないか。とに角、心霊研究にはこのような過去の歴史の副産物の発見が伴って来るから、考古学やら民俗学の知識は前回述べたように必要になってくる。写真は檜原村郷土資料館に提出した資料である。

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2011年7月16日 (土)

心霊研究と考古学

ちょっといっぷくでしょうか。

心霊研究をやっていると、考古学やら民俗学のような知識が必要になってくるような気がします。

不思議な現象が起こったり、パワースポットと呼ばれる場所には古代の霊のようなものがあるようです。

東京都あきる野市界隈についても、ちょっと調べてみましたのでご参考まで。

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