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2011年6月16日 (木)

幽霊は何を伝えに来たのか?

幽霊クリウは何を伝えに来たのか?

 以前、「幽霊はなぜ出るのか?」という記事を書いたが、筆者が2002年5月に長野県M村で遭遇した幽霊クリウについて、その後の調査から彼が何を伝えに来たのか触れてみたい。
当初、幽霊クリウはたまたま筆者が奇跡の森に足を踏み入れた時に偶然姿を現したものだから、自分たちの縄張りを主張するために現れたものだろうと単純に考えていた。
幽霊クリウと遭遇して以来、石塔や石仏の調査を続けているうちに道祖神に出会い、そこから【縄文人】というキーワードにたどり着いた。
そこから考古学を少し勉強して化石地名と呼ばれる縄文時代の地名が今も世の中に現存していることも分かってきた。いわゆるノベやマキ、ツカ、カワグチ、ヤマグチなどの類である。そこから縄文人たちの国造りの考え方が少し見えてきた。

不思議といえば不思議な話であるが、これまでの調査から筆者が住んでいる東京のある街が幽霊クリウの古里と縄文という時代で繋がっているのが分かった。
要するに筆者が住んでいる街のルーツは長野県の佐久地方にあったのである。これは驚きの発見としか言わざるを得ない。

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幽霊クリウと縄文の検証①

 下の写真は筆者が2002年5月に長野県M村で撮影したものと、筆者が住んでいる東京の西多摩で発掘されたいわゆる「縄文のビーナス像」である。
科学的な検証は行っていないが双方ともに姿かたちがよく似ている。

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幽霊クリウと縄文の検証②

 下の写真(左)は佐久地方で発掘されたミシャグチ神と伝えられている土偶で右側が筆者が住んでいる付近で発掘された土偶のかけらである。
目がつり上がっているところなどが佐久地方のミシャグチ神とそっくりである。

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幽霊クリウと縄文の検証③

 下の写真は筆者の近くにある神社である。創建年代は不詳となっているが佐久地方にある松原・諏訪神社の流れがあると思われ、地元では「松原大明神」または「松原さま」と呼ばれている古社である。
そのほかに、縄文時代の石器製造地や地名が何ケ所か重複している。

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心霊研究では、たんに幽霊に遭遇したという体験の調査だけでは意味がなく、ほかに付近の環境を詳しく調べていくと「幽霊はなぜ出るのか?」の答えが見いだせるようだ。

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コメント

クリウの古里とお住まいの地域が繋がりがあるのも大きな要因だと思います。

投稿: サラズバティ | 2011年6月17日 (金) 21時03分

サラズバディさん、こんばんは。
今日は久しぶりのJSPPの月例会があって学士会館に行ってきました。
杉下先生のお話も実にためになりましたが、今回は霊体験した人たちが4名ほど来場されて二次会がちょっと盛り上がりました。
JSPPでも心霊研究に興味がある人たちで分科会のようなものを立ち上げたいなぁって思いました。サラズバディさんも是非どうぞ。

投稿: 管理人 | 2011年6月18日 (土) 23時13分

実は私も昨日、月例会に行く予定でしたが寝坊をしまして…(笑)。
でも次には早起きして行きたいと思います。
その時、お会い出来ればと、よろしくお願いします。

投稿: サラズバティ | 2011年6月19日 (日) 00時28分

次回は9月17日(土)の予定です。
学士会館は静かでなかなか趣があっていいところでした。
よろしくです。

投稿: 管理人 | 2011年6月19日 (日) 11時20分

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