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2011年4月

2011年4月25日 (月)

夢と蛇の使い

人類はなぜ蛇の夢を見るか?

夢の世界の不思議な出来事について、昨年、心霊研究の取材で密教で知られる東京の某寺院をたずねたところ、そこの和尚さんから「蛇」にとり憑かれたと思われる青年にたいする除霊の映像を見せてもらった。
この映像は民放の番組でも放送されたらしく、確かにひとりの青年の蛇にとり憑かれたような姿が映し出されていた。下の絵がその時のイメージ図である。この青年はよく蛇の夢を見るのだと言う。

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この「蛇」の夢は筆者も時々体験するものであるが、夢の世界に出てきたり、日常の生活のなかでフラッシングのように脳が感じるようなことがある。この時の「蛇」は決まったようにトグロを巻いているのが特徴で、その後に自分自身に不吉なことが起こりやすい。
いっぽう、「蛇」にかんする伝記書物を調べてみると世の中には驚くほどたくさんあるのが分かる。このように「蛇」にとり憑かれたと考えるより「蛇」の夢をよく見る問題については別の次元で研究したほうがよいのではないだろうか。

「蛇」は不吉を知らせにくる使者だ。

ここのブログでも以前紹介したことがあるが、「失われた文明」(講談社現代新書、著者:A・コルボフスキー)に下記のような記述がある。

 いろいろな大陸のいろいろな民族宗教が持っている宇宙発生神話によれば、陸地ができる前には、すべてが大洋によっておおわれ、この大洋には「蛇」の形をとった創世神が住んでいたといわれる。
大洋と大海のシンボルであった「蛇」(または竜)は、宇宙の混沌、すなわち生命が生まれる前の世界の原始的状態を体現したものであった。それはまたこの原始的状態への復帰を意味するシンボル、大異変と洪水を意味するシンボルにもなった。
バビロンの楔形文字のテキストの一つは、洪水が起こった年を「怒り狂っている竜の年」と呼んでいる。

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人類共通の夢は遺伝子が関係する。

このように「蛇」は古代のエジプトやメソポタミアなど文明の発祥地などで広く神格化されていたものだというのが分かる。
ではなぜ「蛇」なのか?宗教関係の書物には「蛇」は脱皮するから「死」からの再生のシンボルとして神格化されたとする説が多い。しかしながら脱皮するものは爬虫類にはたくさんいるし、このような説は多くの疑問が残る。
筆者が考えるには、このように人類が共通して見る夢に出てくる「蛇」だから「遺伝子」が関与しているのではなかと思う。従って「蛇」を夢で頻繁に見たり感じたりすることは、「蛇」にとり憑かれているのではなく人類の遺伝子のなかにその秘密が隠されていると考えれば余計な心配をしないですむ。そして、「蛇」は未来の不吉を予知する使者だと考えればよい。

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2011年4月22日 (金)

夢に出てくる幽霊たち

夢の世界は「あの世」とつながっている。

先日、インターネットのニュースで千葉市の主婦が自分の子供を殺害したとして警察に出頭した事件が流されていた。
先に「幽霊はなぜ出るか」という記事を書いていたが、このテーマに沿っているので追伸したい。下記がそのニュース記事である。

◎80年代に2乳児殺害の主婦出頭、すでに時効 (読売新聞)[ 2011年4月20日10時42分 ]

 1982年と84年に生後間もない長男と次男を窒息死させたとして、千葉市の主婦(50)が今年2月、警視庁に出頭していたことが、捜査関係者への取材でわかった。

 長男と次男は当時、「病死」と判断されていたが、主婦は2人とも「口の中にガーゼを詰めた」と供述。遺体の状況が主婦の説明と一致しており、同庁は20日にも主婦を殺人容疑で東京地検に書類送検する。すでに殺人罪の公訴時効(15年)が成立しており、不起訴となる見通し。主婦は調べに対し、「子供の泣き声がうるさかった」「2人が夢に出てきて、黙っているのがつらくなった」と話しているという。

 捜査関係者によると、主婦は82年2月と84年1月、東京都足立区の自宅で、生後2か月の長男と生後10か月の次男の口に、それぞれガーゼを詰め込み、窒息死させた疑いが持たれている。

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幽霊の見え方を考察してみよう。

上のニュース記事のように、このケースの場合は「幽霊」は「夢」の世界に出没しているのが分かる。要するに「幽霊」というものは、いろいろな目撃談を分類してみると大きく三つに分けられる。
そのひとつが「脳」の世界である。夢に現れる幽霊、夢の世界ではなく他人には見えなくて本人だけに見える幻覚や幻視の幽霊がある。
二番目に視覚によるもの。目で実際に見えたもの、何かの物体や影が幽霊に見える錯覚がある。三番目には肉眼では直視できなかったが写真やビデオ映像に写りこんだ幽霊である。

このように「幽霊」の見え方を分類しておくと自ずとフィールドワークの際、調査する内容や手法が前もって検討できる。

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2011年4月14日 (木)

幽霊はなぜ出るか

幽霊は気の迷いなのだろうか?

下の著書が目に付いたので一読してみた。この本は、どちらかと言えばフィールドワークというものではなく古代日本人が考えていた幽霊論のようなものでまとめてあって、なかなか面白い。面白いという表現は、いささか不愉快と思われる方々もいらっしゃるかも知れないが、心霊研究家として内容が参考になったというものである。
著者は石井 明さんという方で、超心理学やPSI関係の世界でも余り馴染みがない。どちらかと言えば水木しげるや井上円了のように妖怪学やら怪談、奇談というものを専門に扱っていられるようである。
このようなもののどこに価値があるのかというと、戦国時代やら江戸時代に庶民の間で見た、聞いたと広まった「幽霊」たちが、この本にたくさん紹介されているからだ。

そして、それらの謎を解こうとする人間もいたらしい。この本で江戸時代の思想家、三浦安貞の「物の怪の弁」という有名な話が紹介されている。
ある仲のよい夫婦がいて、ある時、不幸にも嫁の方が体調をくずして先にあの世に旅立った。亭主が悲嘆にくれていると、そのうちに夜毎夢枕に死んだ女房が現れるようになり近くのお寺の住職に相談にいく。
そこで住職は男の眼の前で碁石を紙に包んで封をして「この中身を幽霊に問え」と言って渡した。その夜、女房の幽霊が夢枕に立ったので寺の住職から指示された通り紙包の中身を問うたところ、幽霊は「碁石」と答えた。
翌日、その一部始終を住職のところへ行って話すと、住職は碁石をざっとつまんで紙に包み「先夜と同じに数を問え」と言って男に渡す。指示された通り、その夜、女房がまたまた夢枕に立ったので数を問うと、今度は幽霊も分からないという。そこで碁石を投げつけると幽霊はふっと消えてしまった。
住職は「妻の幽霊と見えたのは、みんなおまえの気の迷いだ。一度目を当てたのは、包むのをお前が見ていたからで、二度目の包の碁石の数はお前も知らない。だから幽霊にも答えられないのだ」と言う。
ということで、この物語のくだりは幽霊を見たというのは男の気の迷いから出たということで終わっている。現代風に言えば心理学の世界の話なのだろうか。

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現代の幽霊目撃談から考えよう。

このブログでも以前紹介したが、東京都檜原村で最近、幽霊の目撃があったという場所があり調査に行ったことがあった。それは女性の幽霊だという情報しかなかったが、現場に行ってみると写真のように路傍に母子のお地蔵さまがあった。これは偶然というものでは説明ができない。このふたつの石仏は江戸時代のもので、いろいろ調べているが、ここで母子が運悪く亡くなったという記録に未だたどり着いていないが何かいわくがあるのは間違いない。
古来よりお地蔵さまというものは、その場所の近くで運悪く亡くなった人があった場合に建立されている。現代でも交通事故で亡くなった人が出ると、亡くなった場所の路傍にお地蔵さまが建立されているケースがあるから説明ができる。
「幽霊はなぜ出るか」という素朴な疑問は、これから東日本大震災で犠牲となられたたくさんの御霊にも同じように幽霊の目撃談が出るようになるだろう。亡くなった方は皆、大震災でふいにあの世に行ったものだから、家族や友人たちにこころ残りを伝えにくるかも知れない。先人たちはそういう霊が幽霊となって我々の前に姿を現すと考えたのだろう。
檜原村の調査からも言えるように、現代でも幽霊目撃というものは人間のたんなる気の迷いなどでは到底説明ができないものがあるのではないか、筆者は自身の霊体験からそう考える。

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2011年4月 1日 (金)

前方後円墳と古代人の死生観

古代人はどうして【前方後円墳】をつくったのか。

筆者が長野県M村で調査している古墳群らしいものを、ある考古学の専門家に写真を見せて検討してもらったことがあるが、このようにヒョウタンを半分に切ったようなものは余り類を見ないという回答だった。
確かに長野県で発見されている多くの古墳の写真を図書館で調べてみたが奇跡の森にあるようなヒョウタンを半分に切ったようなものは見当たらなかった。
このヒョウタンを半分に切ったような古墳は【前方後円墳】と呼ばれる形式のもので長野県内では余り発見されていない。多くは円墳と呼ばれるものが中心だ。しかしながら奇跡の森には少なくとも30基以上同じものが存在する。これは事実である。
下の写真は奇跡の森に点在する古墳らしいもののひとつで、その概略図を示している。背丈が小さいので現場ではあまり目立たないのが特徴だ。

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【前方後円墳】は古代人の死生観の現れではないか。

奇跡の森で幽霊クリウの調査を続けて、もう9年の歳月が流れているが、どうして古代の人々は奇跡の森でヒョウタンを半分に切ったようなお墓を作ったのだろうということが長年頭を離れることがなかった。
そうこうして考えあぐねていたが、自宅近くに縄文後期と弥生時代の住居跡が公園内にあるとの情報があり、さっそく見学に行った。
下の写真がその公園内にある住居図と住居跡である。看板の説明によると、このような住居は約4000年~3500年前の縄文後期に盛んに作られ、関東地方の南西部から中部高地にまたがる地域に分布していると説明が添えられていた。
いやはや、なんということだろうか、自宅近くに奇跡の森にある古墳の謎を解くカギがあったのである。平面上の形状から見ると両者がピッタリ一致する。
要するに、奇跡の森のかの時代の古代人(縄文人)たちは死後も生前と同じような住居で生活したいと考えたのではないか、直感的にそう感じられた。(後方に見える四角のものが弥生時代の復元された住居跡)

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次の写真は国内最大の仁徳稜古墳で日本を代表する【前方後円墳】であるが、上の写真の縄文人の住居跡と見比べてみても平面の形がよく似ていることが分かる。
それから出入り口も同じような場所に作られており、これらの共通点からみても分かるように【前方後円墳】は日本における古代人の死生観そのものの現れで、それが死後の世界の棲みかとして古代の世界で広まったのではないかと推察できる。

Kofun106

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