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2011年3月19日 (土)

大震災復興と寒念仏溝

大震災復興!先人の知恵【寒念仏溝】から学ぼう。

連日、東北・関東大震災に見舞われた被災地は現場にいる人間にしか分からない窮状がマスコミなどの報道から伺う事が出来る。
とに角、日本国民の一人として出来るだけの支援はしていきたい。筆者も過去に水害の経験をしているので被災者の心境はよく分かる。

連日のマスコミの報道は現在は被害の現状報告が中心であるが、これから表面化しだしてくるのは被災者の【心】の問題だろう。
超心理学の世界では、この【心】の問題を研究している人が多いのも事実である。一人になると急に何かに怯えたり、眠れなくなったり、鬱になったりする被災者が出てくる。
これらの世界は主に心理学の世界にあたるものか知れないが、筆者はこれまでに心霊研究の一環として調べてきた【寒念仏溝】というものに先人たちの知恵があるのではないかと考えている。

先人たちは【寒念仏溝】をどのように活用したか。

この【寒念仏溝】は、インターネットで調べてみれば分かると思うが「寒い時期に念仏を唱えて荒行を行うもの」などと記されているものが多いが、【寒念仏溝】を行った背景について述べられているものは少ない。
筆者のこれまでの調査では、この【寒念仏溝】は江戸時代に全国的規模で実施されており、これらの背景に地震や台風、大火災などが間違いなくある。
江戸時代の三大改革(享保、寛政、天保の改革)はいずれも天災による大飢饉が発端になって幕府の改革が実行されているのが分かる。その幕府の一般庶民への通達は幕府から領主を通じて伝わっているが、心のケアという意味では仏教が大きな役割を果たしている。
【寒念仏溝】はこれまで説明してきた庚申溝や二十三夜溝などと同様に村のお寺が筆頭となって、その代表者が寒い時期に鉦をたたいて念仏を唱えるもので行が終わると、その証として寒念仏の碑を村の要所に建てた。
村人たちは、その時代の天災や大飢饉のあとに【寒念仏溝】を集団でおこなって天災後の【心】のケアを行っていたのではないかと考えられる。

写真は現在筆者が調査している長野県M村の寛政の時代に建立された寒念仏像と石祠である。この石像と石祠から現代の我々が知り得るのは「寛政の時代に浅間山の大噴火の後に大飢饉があったため【寒念仏溝】を行って犠牲者の供養を行い、山の神にお祈りしました」ということが読めてくる。
当時の村人たちは苦しい胸の想いを、この寒念仏像に語りかけて【心】のケアを行ったのである。自分のなかにある苦しみは他人に話すか、このような石像に話しかけるのが一番の【心】のケアになるのではないだろうか。

現代人は【寒念仏溝】から先人たちの知恵を学ぶべきなのかも知れない。

Kannenbutsu020

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