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2011年3月

2011年3月29日 (火)

オーブの衝撃

水中でなぜオーブが写るのだろうか?

elenaさんのブログで水中で写したオーブが紹介されているが、オーブを研究している人間にとっては驚きという他に言葉が見つからない。
巷ではオーブというものは周りの水滴とかホコリがレンズに付着して、それが写真に写ったものと結論付けているものが多いが、それではこの水中で写ったオーブの説明ができない。

P1300041

(検証1)
これまで筆者も5年ほどオーブの現地調査を続けてきたが下の写真のように霧雨や小雨のときに写真を撮るとオーブがたくさん写り、レンズを拭くと解消することを確認した。
従って巷で論議されているオーブの正体の一つは雨粒だということが分かる。

Orb002

(検証2)
次の写真は筆者が憑依を受けているときに撮影したものであるが、この写真は晴天の日に撮影したものであるから霧雨などが犯人ではなかった。

Orb03

(検証3)
次の写真は筆者の前に現れたものを幽霊ボンボリとして紹介しているものと、その再現実験(右)を行ったものである。
写真からも分かるように幽霊ボンボリはレンズに結露するように現れていることが分かる。だからと言って幽霊ボンボリは自然の結露によるものではない。
それは幽霊ボンボリは夏の暑い時期に撮ったもので、再現実験は冬の雪の降る日に行ったものであるからだ。要するに一般的な写真撮影時に結露が写るのは主に冬場に起こりやすいということである。

Soul01

(まとめ)
検証1~3をよく精査してみると、下の図のように小さな液体のようなものがレンズに付着して、それがフラッシュの光に反応して写っているのではないかと考える。
幽霊ボンボリもレンズに吸着するように写りこんでいるから、空気中でも水中でも同じようにレンズに小さな液体のようなものが吸着する現象が起こっていると考えることができる。(最近のデジカメの写真は画像情報を調べると、その多くにフラッシュがONになっていることが分かります)

Orb006

従ってオーブを研究している方々には、これまでの考え方を白紙に戻して、オーブが水中でも写るということを念頭に置いて調査研究を行うべきだと考える。

【オーブ写真】
http://gallery.nikon-image.com/163733867/albums/990057/
【elenaさんのブログ】
http://elena444.wordpress.com/2010/12/12/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%96/

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2011年3月24日 (木)

縄文人の霊魂研究

交通事故多発現場には霊が存在するのではないか?

筆者の自宅近くに交通事故がよく起る場所がある。
近年になって町内会の人々の間に何かの祟りではないかとうわさが広まり観音堂が建立された。
筆者もこの場所で霊魂の憑依を受けている時期に一度追突事故にあった。その他に事故を起こす現場も実際に目撃したことがあり、そこで不幸にも亡くなった人もいる。
その頃はまだ心霊という世界にはいなかったので、そんなに深く考えてみなかったが最近になって心霊のことが多少分かるようになってきたので因果関係を調べてみようと考えたのである。
下の写真と地図がその現場である。何の変哲もない現場なのに丸印の付近で妙に交通事故が絶えない。観音堂には「物故者之慰霊碑」と記された位牌が置いてある。
因縁についていろいろ調べてみたが、この場所は昭和の終わり頃道路の拡張工事が行われたという記録しか見当たらず交通事故も道路拡張工事の後に発生しだしたのも分かってきた。

Konnondo03

縄文時代の「マキ」と「ノベ」という隣接した地名の由来。

筆者が特に疑問を持ったのが、この「マキ」と「ノベ」という地名である。調査を行っている交通事故がよく起る場所近くの地名に出てくる。
そして、筆者が作成した「古代遺跡と霊」のDVDでも紹介しているが、長野県にも南牧村(ミナミマキムラ)の近くに野辺山(ノベヤマ)という地名がある。
この場所も縄文時代の遺跡が多数発見されている場所であるが、不思議なことに「マキ」と「ノベ」が同じように共通して隣接している地域だ。

言葉の語源を紐解いていくと「マキ」はその昔、牧場があった場所だと説明されているものが多い。筆者もそのように考えていたが、近くの「マキ」と呼ばれる地域の遺跡からは縄文草創期に石槍を集中的に製作していた跡が発見されている。
要するに「マキ」とは、その時代に騎馬軍団のような集団がそこで生活していたのではないかと考える。云わば、その部族の軍隊が常駐していた場所である。

それから「ノベ」という言葉を紐解いていくと、日本の一部の地域で近年まで行われていた「野辺送り」という葬送儀式の言葉が現れてくる。
要するに日本古来の風習から察すると「ノベ」とは集団墓地の場所の呼び名である。その昔、村内で死者が出ると村人総出で「野辺送り」と称して行列をくんでノベに行って死者を葬った。(写真参照)

Nobe191

では、どうして「マキ」と「ノベ」という地名が隣接しているのか調べているが、未だその証拠となる歴史や民族資料にたどり着いていないが、これは、その昔、この場所に小さな国家があった証なのではないだろうか。これまで調べた筆者の私見からすると「マキ」と「ノベ」が隣接しているのは、その小さな国家で近隣の部族間の争いや国内で死者が出ると「ノベ」と呼ばれる場所に亡骸を葬って村の守り神にしたのではないかと考える。(イメージ参照)

Jyoomon032

要するに調査中の交通事故が多発する場所には縄文人の「マキ」と「ノベ」の痕跡があった。そこに縄文人の何らかの霊が存在するから、その霊が災いして交通事故が絶えないのではないかと考える。心霊研究においては縄文人は死後の世界を謎とくキーパーソンだと言える。さらに心霊研究では心霊スポットと昔から伝えられている場所では、地名などからその痕跡を調べることも筆者は重要なテーマだと考えている。

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2011年3月19日 (土)

大震災復興と寒念仏溝

大震災復興!先人の知恵【寒念仏溝】から学ぼう。

連日、東北・関東大震災に見舞われた被災地は現場にいる人間にしか分からない窮状がマスコミなどの報道から伺う事が出来る。
とに角、日本国民の一人として出来るだけの支援はしていきたい。筆者も過去に水害の経験をしているので被災者の心境はよく分かる。

連日のマスコミの報道は現在は被害の現状報告が中心であるが、これから表面化しだしてくるのは被災者の【心】の問題だろう。
超心理学の世界では、この【心】の問題を研究している人が多いのも事実である。一人になると急に何かに怯えたり、眠れなくなったり、鬱になったりする被災者が出てくる。
これらの世界は主に心理学の世界にあたるものか知れないが、筆者はこれまでに心霊研究の一環として調べてきた【寒念仏溝】というものに先人たちの知恵があるのではないかと考えている。

先人たちは【寒念仏溝】をどのように活用したか。

この【寒念仏溝】は、インターネットで調べてみれば分かると思うが「寒い時期に念仏を唱えて荒行を行うもの」などと記されているものが多いが、【寒念仏溝】を行った背景について述べられているものは少ない。
筆者のこれまでの調査では、この【寒念仏溝】は江戸時代に全国的規模で実施されており、これらの背景に地震や台風、大火災などが間違いなくある。
江戸時代の三大改革(享保、寛政、天保の改革)はいずれも天災による大飢饉が発端になって幕府の改革が実行されているのが分かる。その幕府の一般庶民への通達は幕府から領主を通じて伝わっているが、心のケアという意味では仏教が大きな役割を果たしている。
【寒念仏溝】はこれまで説明してきた庚申溝や二十三夜溝などと同様に村のお寺が筆頭となって、その代表者が寒い時期に鉦をたたいて念仏を唱えるもので行が終わると、その証として寒念仏の碑を村の要所に建てた。
村人たちは、その時代の天災や大飢饉のあとに【寒念仏溝】を集団でおこなって天災後の【心】のケアを行っていたのではないかと考えられる。

写真は現在筆者が調査している長野県M村の寛政の時代に建立された寒念仏像と石祠である。この石像と石祠から現代の我々が知り得るのは「寛政の時代に浅間山の大噴火の後に大飢饉があったため【寒念仏溝】を行って犠牲者の供養を行い、山の神にお祈りしました」ということが読めてくる。
当時の村人たちは苦しい胸の想いを、この寒念仏像に語りかけて【心】のケアを行ったのである。自分のなかにある苦しみは他人に話すか、このような石像に話しかけるのが一番の【心】のケアになるのではないだろうか。

現代人は【寒念仏溝】から先人たちの知恵を学ぶべきなのかも知れない。

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2011年3月15日 (火)

被災した石塔・石仏を守ろう!

大震災で被災した路傍の石塔・石仏を守ろう!

連日のようにマスコミで3月11日に発生した東北・関東大震災後の人命救助などの報道が行われており、日本中の国民が大きな関心をもって見つめている。
自衛隊を含めてライフラインの復旧や人道支援に従事されている方々に敬意をもって感謝を表するところである。

連日のようにテレビの画面に映し出される現地の映像は辺り一面が終戦時の焼け野原同様に見える。被災された方々はさぞ地震や津波を目の当たりにして恐怖の旋律が走ったに違いない。

現在は先ず人命救助とライフラインの復旧が最優先なのであるが、筆者にはこれまでの研究テーマのひとつに先人達が遺した路傍の庚申塔や百番塔のような石塔・石仏と霊魂の関係がある。
これらの先人達が建立した石塔・石仏はひとつの県で少なくとも3000基以上はあるとされている。今回大きな被害を受けたのは東北の岩手県、宮城県、福島県が中心であるが、東北地方と言えば石塔・石仏の宝庫のひとつである。
大震災後の市街地の映像は何とも言えない修羅場の光景であるが、これらの映像のあちこちに先人達が遺した石塔・石仏はガレキの下に多数埋もれているに違いない。

古い書物に作庭記というのがあって、これには【石を扱うについての注意】が記されている。

「もと立てる石をふせ、もと臥る石を立てる也。かくのごとくしつれば、その石かならず霊石となりて、たたりをなすべし」

これは藤原頼通の庶子、橘俊網という人が書き残したものであるが、筆者もこれまでの心霊研究から路傍の石塔・石仏たちは一種の墓標と考えてもよいのではないかと思っている。
「檜原の民話」(日本民話の会編)にもウカガイをたてたら問題の敷地から埋もれた石塔が出てきたなどの実話が紹介されている。

下の写真は東北・関東大震災で被災したものではないが、被災地でガレキの下からこのような石塔・石仏が出てきたら気安く破棄するのではなく未来への文化遺産として大事に遺しておくことも現代人の務めだと筆者は考える。

Sekibutu015

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2011年3月13日 (日)

3月11日 東北・関東大震災お見舞い

被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

ここのブログで庚申信仰と地震や暴動の関連性について意見を述べさせて頂いておりましたが、去る3月11日に東北・関東にて大地震が発生し多数の死者、行方不明者が発生していると連日報道されております。

被災された皆様に心よりお見舞い申し上げますと共に一日も早く復興されることをお祈りします。

超心理学という学問の中に「予知」という分野がありますが、早く実用化にこぎつけ、このような天災を事前に予知し被害を最小限に留めさせるのも研究者の仕事のひとつだと考えられます。

写真はNHKニュースから

Earthquerk012

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