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2010年8月 6日 (金)

ミステリアス・ビレッジ(9)

檜原には江戸時代になって徳川幕府の関所が置かれていた。関所と言っても普通の関所と違い【徳川氏関東入国の時、五十五箇所の関所を設け、そのなかに檜原ただ一箇所だけが、いっさいの通行を禁ずる口留番所であった】(檜原・歴史と伝説:武蔵野郷土史刊行会)というものである。
従って、この口留番所がいかに厳しい関所であったことがよく伺える。写真は檜原村本宿の街並みである。近くに採石場があるせいか、ダンプの往来が激しい。この場所に口留番所がかつてあった。

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しかしながら、この厳しい口留番所も医者と僧侶は例外として通していたようである。これは現代にも通用する暗黙の了解事項といえるもので【村八分】が当時、檜原村でも慣用としてあったことを物語っている。【村八分】は、普段の付き合いは止めるが病気と弔いだけは付き合うという厳しい昔からの集団の掟である。
それから、村内に現存する42基の百番塔の存在である。百番塔(百番供養塔)は諸国百ケ所の霊場巡礼の旅に出なければ建立できないから間違いなく当時の村人たちは、この口留番所を通って巡礼に出かけていたことが伺える。

Hinohara070910
いっぽう、檜原村の怖い昔話、位牌山伝説などを調べていくと、これらの多くに僧侶たちが登場してくる。追いはぎにあって旅の僧が絶命したもの、炭焼き釜に僧侶の霊が浮び出るものなど数多い。これは、先に述べたとおり厳しい口留番所が僧侶たちを通していたひとつの証拠だといえる。巡礼者や僧侶の格好をしていれば、この厳しい口留番所は誰でも通過できたことが伺える。
それから、もうひとつ、檜原村の北谷に中里という集落がある。そこにも庚申塔が建立されているが、この場所は古文書には【中里庚申場】と記されている。これまで庚申塔の調査を行ってきたが、その多くは庚申塔、青面金剛、庚申堂などが一般的で庚申場と表現されているものは類を見ない。
当時の徳川幕府は何故、この檜原村に人を通さない最も厳しい番所を作ったのか?庚申場は何のために作られたのか?謎が謎を呼ぶ不思議な村である。

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             (中里の庚申塔)

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