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2010年4月 1日 (木)

庚申溝の謎を解く(1)

さて、筆者は2002年5月に長野県M村に渓流釣りに出かけて、その村の林道で幽霊に遭遇する不思議な体験をした。そして、その村で【庚申溝】や【百番塔】の民間信仰が今でも色濃く残っていることを知ったのだが、この【庚申溝】というものは調べれば調べるほど奥が深い。
【庚申溝】はここのブログでも以前取り上げたことがあったが、要するに平安時代に中国から伝わった民間信仰で庚申の日(年6回)に眠らずに溝を行うものと多くの文献で説明がなされているが、果たして、このような説明だけで正しいのだろうか?
これまで長野県M村、K村を含め近くの庚申塔を調べてきたが多くのものが大地震や大火災という背景があったのは事実である。そして、そのいくつかの【庚申溝】には、その溝を行った場所が、どうしてこんな場所で行ったんだろうと首を傾げたくなる場所が結構あった。
陰陽の世界で見れば、誠に不可解な場所で【庚申溝】を行っていたことも分る。要するに事故が多発する場所や昔から災いが多発する場所なのである。最近、庚申信仰にかんする専門書のなかに【庚申信仰の伝播と縁起】(小学館スクウェア:写真参照)という本が眼に留まったので現在読み漁っているが、全国の【庚申塔】の由来を詳しく調べられていてなかなかためになる本である。
これまでの筆者の調査から述べると、この【庚申溝】は

①村や集落の戒律(見ザル、言わザル、聞かザル)として行われた。
②事件や事故が起こった場所で関係者のみが集まって行われた。
③鎮魂や犠牲者の供養として行われた。

以上の三点である。筆者は民俗学などの専門家ではないが、これまでの不思議な体験や現場の調査から昔の【庚申溝】を推測している。
【庚申信仰の伝播と縁起】の本の中にもそれらしき調査内容が記されているので、参考までに挙げておく。

五、天王寺へ天下り給ふ本地青面金剛童子の事(304頁)
ここに本朝仏法の開基聖徳太子御建立の霊地四天王寺の南門の辺りにあって怪しき光物見へたり。天王寺七村の人々始に何とも思はざりしが、遥に日をおひ月を重ねていよいよ怪く光をれば、七村の者共、指集り是はいか様いわれの有べし、天下大事かさなく近隣の災難の斗り難き成と各々詮議まちまち也。その中にこざかしき者進出出申す様は、否々ヶ様の事昔より三国に於て其例にあらず。

と記してある。昔の人々は何か不吉なものを見たりした場合に、そこで災いを恐れて庚申溝を行っていたのではないかと推察できる。

Koushin013

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