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2009年4月

2009年4月29日 (水)

「天領の地」川上村を訪ねて

Iseki002 長野県M村の和尚さんから同じ南信濃にある大深山(おおみやま)遺跡を訪ねてみたらどうかと提案があったので、先日の調査の帰り道川上村にある大深山遺跡を訪ねてみることにした。
川上村というところは、その昔から「天領の地」と呼ばれていた村であるので、ちょっとは気になっていた村である。佐久の方から国道141号線を車で野辺山方面へ走っていくと、やがて川上村の案内が見えてくる。
しかしながら、この川上村は地形が複雑な海岸線のように入り組んでいて、なかなか目的地にたどり着けない。筆者はどちらかといえば方向音痴だから西東の検討が全くつかないから大変だ。国道141号線には「川上村」の案内板が出ているが、ちょっと村道に入り込んでいくと案内板の数がめっきりと減ってくるから心細くなってくる。
そうこうしているうちに、やっと川上村役場方面という案内板が見えてきたので一安心した。村の中心は千曲川添いにあるので野辺山辺りから入ってくると、一気に200~300mほど下るような感じである。
川上村に入って、暫く走っていると目的地の「大深山遺跡」という案内板が見えてくる。遺跡の名前の通り、そこには大深山(標高1466m)という山があり麓は大深山地域と呼ばれている。村道からゴルフ場入り口と同じ場所なので迷うことはなかった。車をそこから走らせて5分程度で遺跡にたどり着く。
遺跡には縄文時代の竪穴式住居が二棟再現されていて入場制限の柵も余りないので親しみやすい遺跡である。(写真参照)
この遺跡は昭和28年頃に発見され村の観光協会で発掘を担当したと記されている。この遺跡は東京大学、アメリカのスミソニアン博物館などが調査に訪れているらしいから考古学的には貴重な遺跡なのだと思う。
この地に今から遡ること1156年、京の都で「保元の乱」という天皇家の争いがあって、その時、この地に重仁親王という方が都落ちしてひっそりと暮らしていたという伝説が今も語り継がれている。「大深山遺跡」が発見されたのがきっかけかどうか分らないが、この遺跡に皇族が過去に訪れているのは確かである。
「天領の地」川上村、万葉の歌が響いてくるような美しい山々、天皇家と深い縁のある村なのである。

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2009年4月26日 (日)

霊魂調査の点と線

Aikimap002 これまで人類は長い間霊魂の存在論争を続けているが、霊魂が存在するという科学的な物証は筆者が調査している長野県のM村に間違いなくある。
これまでに筆者が調査した場所はひとつひとつから判断すると点であって総合的な判断が難しい。しかしながら、これらの調査場所を線で結んでいくと間違いなく霊魂というものの存在を確信するに至る。
先のブログで紹介したM村の隣のK村の縄文遺跡からは12体の人骨が発掘されているのである。この遺跡は発掘された品々からK村の教育委員会の説明によれば少なくとも江戸時代まで祭事に使われていたと説明されていた。
奇跡の森の百番供養塔、K村の縄文遺跡の前に建立されている百番塔、この二つを結び合わせるのは霊魂が存在するという唯一つの物証なのである。
挿絵は現在調査中の長野県M村とK村サイトマップである。詳細は下記にて紹介している。
(調査記録のHP)
http://homepage2.nifty.com/deadoc/km3/taikendan01.html

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2009年4月24日 (金)

大型古墳?の発見か

Kofun015 長野県M村にある奇跡の森を調べ始めて、もう7年の歳月が流れている。このM村というところは過去の歴史を調べれば調べるほど不思議な出来事が見え隠れする村である。
となり村のK村とは昔はひとつの村であったのだが、戦国時代に二つに分立して現在に至っている。
となりのK村では遺跡発掘には博物館まで建てて村あげて発掘の支援をしているのに、このM村では発掘のはの字も聞かない。
先日、M村のお寺を訪ねてご住職と話をしてきたのだけれども、ここのご住職もまた遺跡の発掘には消極的だと感じられた。どうしてか今でも不思議だ。
確かに遺跡発掘というのは金もかかるし土地の所有権の問題もあるから面倒といえば面倒かもしれない。
筆者は遺跡や古墳には本当にド素人なのであるが、M村の奇跡の森で霊体験という不思議な体験をした張本人なのだから、こつこつとこれからも超心理学という目線で調べていこうと思っている。
写真に掲載しているのは、奇跡の森にある大型古墳と思われるものである。高さはだいたい5~6mはあり周囲は20m~30mある。
こうしてみると、ここの古墳は長野県松代にある「大室古墳群」に様相が大変似ていると思う。その「大室古墳群」にも「将軍塚」という大きな古墳があって周囲に大小さまざまな古墳が山中に点在している。
今回の調査では奇跡の森界隈には間違いなく古代の人間たちが暮らしていた住居跡があったとの情報を得たので、奇跡の森は縄文か弥生時代の古墳群に間違いないと思っている。

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2009年4月21日 (火)

遺跡の持つ不思議な力

Iseki001 筆者が名づけた長野県M村にある「奇跡の森」から4~5Kmほど離れた下流のK村でS大学が遺跡の調査を実施している場所がある。そのS大学の教授と何度かメールのやり取りをやっていたので、先日現地調査の折、その場所に出向いてきた。
あいにくS大学の調査は今年はまだ始まっていなかったのだが、その遺跡は縄文時代のもので現在、国の史跡に登録されている。
K村の遺跡は、村に入ってから4~500mくらい進んだ村道のすぐ脇にあった。ちょっとした岩山にある洞穴のような場所で昭和になって縄文時代の遺跡として発見されたと案内板に記されていた。
その遺跡を訪ねたとき、どう表現すればよいのか分らないがある種の衝撃が走った感じであった。それは調度昔のアメリカ映画「猿の惑星」の衝撃的なラストシーンに似ていた。
その映画では主人公がある時地球を飛び立って、たどり着いた惑星で猿の文明圏に出会いそこで生活をしていたのであるが、その映画のラストシーンで主人公が目の当たりにしたのは朽ち果てた自由の女神の上半身が傾いた姿で地上に露出していたという衝撃的なシーンであった。要するにその主人公は地球から遠く離れた惑星にたどり着いたと思っていたのであるが、その惑星は「未来の地球」だったのである。
筆者がこの話を持ち出したのは、やはりこの「猿の惑星」のラストシーンが今も脳裏に焼きついているからに違いない。
K村の遺跡に行ってみて先ず驚かされたのは、その遺跡の前に「百番塔」と「庚申塔」があったことである。そして、ここにある「百番塔」は建立されたのは「寛政二年」と刻まれていたのである。
前にも述べたとおりK村のここの遺跡は昭和に入ってから発見されたものであって、寛政の時代には当時の村民はここに縄文時代の遺跡があるとは想像もしていなかったのではないかと思う。その遺跡の前に「百番塔」と「庚申塔」が建立されているのだから大変驚かされた。
「奇跡の森」にある「百番供養塔」とK村の縄文時代の遺跡の前に建立されている「百番塔」、これはたんなる偶然の出来事ではなく、なにか遺跡には不思議な力のようなものがあるのではないか。筆者が先ず驚かされた衝撃的な偶然の光景であった。
写真はK村の縄文時代の遺跡の前に建立されている「百番塔」と「庚申塔」である。古い遺跡にはなにか不思議な力があるのは間違いない。

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2009年4月14日 (火)

ヤノマミの話す精霊たち

Kofun012 先日、4月12日(日)にNHKのスペシャル番組でアマゾン奥地に住む部族が紹介され大変感銘を受けた。
彼らは自分たちを「ヤノマミ」と呼んでいた。すなわちヤノマミとは彼らの言葉で人間という意味を持っているのだという。
NHKの説明によれば彼らは一万年もの間、今と変わらない姿で狩猟生活を続けている。
しかしながら、我々人類はこの1万年という気の遠くなる時間を費やして、ようやく現在の文明を築いてきたのであるが、では、どうしてヤノマミたちは1万年もの間、進化してこなかったのだろうと素朴な疑問が生まれてくる。
話は変わって、筆者が調査している「奇跡の森」の話に戻してみよう。ここは、云わば今から5千年から1万年前の縄文時代と呼ばれた頃の古墳群が存在する場所だと考えている。
2002年にそこに、ひょっこりと筆者が迷い込んで、そこにいる霊に取り憑かれてしまった。彼らは間違いなく迷い込んだ人間に取り憑いてきた。これは真実の話である。
写真は奇跡の森のすぐそばで発見された遺跡に建てられた製材所である。その裏山にたくさんの積石塚古墳があり、今もそこに縄文時代の精霊たちが眠っているのである。
ヤノマミのシャーマンが話していた言葉、「人間も死ねば天に昇り精霊になる」何となくその意味が分るような気がしてくる。

ヤノマミのシャーマンのことば

ジャガー ワニ バク サル
天は精霊の家だ
人間も死ねば天に昇り精霊になる
地上の死は死ではない
魂は死なず精霊になる
精霊もやがて死ぬ
最後に男はハエやアリとなり地上に戻る
女は最後にノミやダニとなる
地上で生き 天で生き 虫となって消える
ナプ(お前たち)も知らねばならない
誰もが同じ定めを生きることを

  NHKスペシャル「ヤノマミ(人間)」から

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2009年4月 5日 (日)

「あばら家の石」と幽霊騒動

Abaraya01 「あばらやの石」、以前ここのブログで大理石が「あばらやの石」とよばれる所以を紹介したのであるが、確かに奇跡の森に眠っている大理石はM村が太鼓判を押しているように質のいい大理石のようである。
写真に紹介しているのは平成元年にM村で行われた大理石祭りで、奇跡の森から切り出した大理石を使って加工されたモニュメントである。今回の調査でこのモニュメントを見てきたが確かに質のいい大理石だと感じられた。
こんなに質のいい大理石が奇跡の森に眠っているにも関わらず、その後、鉱山は見る影もなくすべて片付けられてしまっている。地元の人は余りここの大理石のことを筆者には話してくれないが、平成元年に「幽霊騒動」が奇跡の森で起こったことは間違いない事実である。

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