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2009年2月

2009年2月26日 (木)

映画評「おくりびと」

Okuri01 今年は日本映画「おくりびと」がアメリカのアカデミー賞外国語映画賞というすばらしい賞を受賞して大きな話題となっている。その他にも天童荒太さんの小説「悼む人」がベストセラーとなるなど、要するにこれまで日本人がタブーとしてきた人間の死を真正面から見つめるような小説やら映画が何故か脚光を浴びているように感じている。
先のブログで紹介したNHKのテレビドラマ「ガラス色の恋人」もしかり、これらはいろいろな大学やら生命の研究部門などで取り上げられている「死生学」というものが時代の流れに乗ってスポットライトを浴びてきている証なのではないだろうか。
筆者も何度か「おくりびと」で取り上げられている「納棺師(夫)」の方が死者に旅装束を身に着けるところに立ち会ったことがあるが、その手際のよさには何度も感心させられている。
そもそも最近では死者が出た家の遺族たちは、死者にどのような旅装束を着せればいいかなど分っている人はほとんどいないので「納棺師(夫)」の方のやり方を見習いながら旅装束を着せていくのである。
NHKのテレビドラマ「ガラス色の恋人」、日本映画「おくりびと」、小説「悼む人」などを見ていると死というものを現実的に永遠の別れとして受け入れようとする考え方が現実的にあるのではないかと感じるが、これからは「死から再生へ」という考え方をもった「死生学」の考えが必要なのではないかと思っている。
それは実際にポルターガイストと呼ばれる不思議な霊の引き起こす摩訶不思議な世界に遭遇してみれば霊魂の存在が理解できるようになり、「死から再生へ」ということが自ずと理解できるようになると思う。
それから筆者はいろいろな人に霊体験を説明するときにロルカの書いた詩をよく引き合いに出す。彼の詩こそ「死から再生へ」という筆者の考えにマッチしたものはないと思うのである。写真は「おくりびと」のHPから。

あらゆる国で死は終わりを意味します
死が訪れるとカーテンは閉ざされる
スペインは違います
スペインではカーテンが開かれるのです

       フェデリコ・ガルシーア・ロルカ
         (訳 つづみ 直)

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2009年2月22日 (日)

ドラマ評「ガラス色の恋人」

Garasu01 先日、2月21日(土)のNHKで「ガラス色の恋人」というドラマが放映された。霊魂の調査を行っている筆者にとってはなかなか良いドラマだったと感じている。
このドラマは臓器提供を題材にしたもので、人間の臓器を提供され病状が回復した若者が偶然にもその臓器提供を行って亡くなった人間の恋人の前に姿を現すというもので、その若者は臓器を提供した人間の人格を持っているというストーリだった。
臓器提供によって臓器を移植された人間に臓器を提供した人間の人格が乗り移るというケースは世界各地で実例が報告されている。超心理学の世界でも、この人格が乗り移るという不思議な現象を研究されている研究者がいるのも事実である。
「ガラス色の恋人」というドラマは単なるフィックションかもしれないが、臓器提供によって人格が乗り移るというものがドラマ化されたことには「臓器提供」という世界では倫理上の問題として大きな意義があると思う。やはり肉体には魂というものが間違いなく介在しているからこそ、このような不思議な事例が世界各地でも報告されているのではないかと思う。写真はNHKドラマ「ガラス色の恋人」で紹介されている主演の吹石一恵さんである。

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2009年2月21日 (土)

書評「生命とは何か」

Ss500 最近、近くの書店でエルヴィン・シュレーディンガーの「生命とは何か」という本が眼に留まったので買い求めて読んでいるが、ちょっと筆者には難しい本だ。
そして、シュレディンガーという人が物理というか科学の世界ではノーベル賞受賞の科学者として有名であるということも恥ずかしながら最近知ったのである。
この本が筆者の眼に留まったのは物理学者が「生命」という世界に科学のメスを入れられているらしいと分ったからであったのだが、何しろ「物理」にとんと縁のない筆者には、この本に書かれている内容はすこぶる難しい。
しかしながら死後存続の研究調査を行っている人間にとっても、この本の中にとても現代の人類に対して何かすばらしいことが述べられているらしいことが少しだけ理解はできる。
「霊魂は間違いなく存在する」、この本に出会って筆者としても一段と自分の調査研究が間違ったものでないものと確信が増している。この摩訶不思議な世界のことを世の中の人たちに理解してもらうには現代人の生と死に対する考え方を抜本的に変えていかなければならないと思う。そう云う科学者の登場が必要だとシュレーディンガーも力説しているように思えるのである。
彼のこの本のまえがきに記されている文章から確かにそう判断できるのである。

「しかし、過ぐる100年余の間に、学問の多種多様の分岐は、その広さにおいても、またその深さにおいてもますます拡がり、我々は奇妙な矛盾に直面するに至りました。~(中略)この矛盾を切り抜けるには、われわれの中の誰かが、諸々の事実や理論を総合する仕事に思いきって手をつけるより道がないと思います。たとえその事実や理論の若干については、又聞きで不完全にしか知らなくとも、また物笑いの種になる危険を冒しても、そうするより他には道がないと思うのです」

どこかの大学の物理の先生方は「唯物論」などを引き合いにして霊魂の存在論を一蹴される人もいらっしゃるが、それではいつまでたっても科学は健全に発展しないと考える。
物理学者シュレーディンガーが今から65年も前に唱えた「総合的な研究」ができる人材の育成こそ、これからの時代には必要なのである。

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2009年2月15日 (日)

「天地人」とM村の不思議な関係

Bodai01 今年のNHKの大河ドラマ「天地人」も高視聴率のようでなかなか面白い。
さて、筆者が霊魂の調査をしているM村は信濃の山奥でありながら昔から上杉謙信とのつながりは特に深い。M村で調査を始めた頃は、そんなに感じてはいなかったが調査が進むにつれ強く感じるようになった。
そのM村がどうして上杉謙信と深いつながりがあるかというと、M村を訪ねてお年寄りに隣のN村のことを質問してみればすぐに分る。
M村は、すでにここのブログでも説明したが、隣村のN村とその昔は同じ村だったのである。しかし、今から460年ほど前の戦国時代にM村とN村に分かれてしまった。その分裂した理由は今の筆者にはよく分からない。M村を訪ねて隣村のN村のことを聞くと、おおよそのお年よりはN村のことを「関東の人間」という呼び方をしている。
その「関東の人間」という呼び方を紐解いていくと、そこに戦国時代の上杉謙信の「関東管領」という役が浮んでくるのである。
その昔、どうしてひとつの村がM村とN村に分断してしまったのか、はっきりとしたところにたどり着いていないが、要するにN村は今の新潟や群馬から移り住んできた人々が祖先なのではないかと考えている。
戦国時代に村がふたつに分断した後、当時の城主がいかにふたつの村を苦労してうまく統治していたのかが現在のふたつの村を調べてみるとよく分かる。
それは写真にあるように、M村には当時の城主が建立した亡き父の菩提寺があり、そして片方のN村には本拠となる城を築城したのである。この城は今は面影は残っていないが、「城山」という山が今でもN村に存在している。
「天地人」の舞台、新潟。M村とN村には戦国時代の甲州と上州、越後の歴史的な因縁の影が色濃く残っている場所なのである。ひとつの村がどうしてふたつに分裂したのかも、現在の調査の大きな難問なのである。

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2009年2月 3日 (火)

浅間山噴火と共時性

Chikuma01 昨日の夕方、近くのガソリンスタンドに給油に立ち寄ったとき洗車待ちの車が並んでいたのでなんだろうと不思議に思ったが、それは浅間山の噴火によって火山灰が関東地方に降り注いでいたから、そのための洗車待ちだったのであった。
火山の噴火とは大したものである。四百キロも五百キロも周囲に灰を振りまくのだから自然のなす力に圧倒される。
考えてみれば、今年の元旦のブログで浅間山の噴火にかんする寒念仏鉦叩像の記事を書いたのであるが、これも偶然の出来事なのだろうか、暫くして浅間山が偶然にも噴火したのだから驚かされる。超心理学の世界では、これはシンクロニシティ(共時性)と呼ばれる出来事なのではないかと一人勝手に考えている。
話は変わるが筆者が調べているM村の近くに小海町という小さな町がある。この町の名前も、どうしてこのような山奥の場所に<海>と名のつく場所があるのだろうと不思議に思ったことがあったが、その後の調査でその昔、この場所に大きな湖があったのが町の名前の起源だということが分った。
小海町のHPによると、その大きな湖は仁和3年(西暦887年)に八ヶ岳(天狗岳)の水蒸気爆発によって千曲川上流が堰き止められてできたものだと紹介されている。
このように南信濃という地帯は昔から大きな火山の被害にあっていたのがよく分かる。昨年暮れ、たまたまM村を訪ねて寒念仏鉦叩像に出会って寛政という時代に浅間山が大噴火し、その時代が大飢饉に見舞われたのを知った。何となく現代の世の中の姿を映し出しているような気がしてくる。
写真は今の千曲川上流の風景である。その昔、この辺りは大きな湖が広がっていたので地名に海の口や小海の名前が残っているのである。

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