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2008年12月

2008年12月31日 (水)

08年ローレライのうた

Lorerai08 2008年もいよいよ師走である。今年も振り返ってみるといろいろな事件や事故がたくさんあったように思う。景気も悪くなって毎日失業者問題がニュースで取り上げられない日はない。
筆者は経済問題には詳しくはないが、世の中にあるお金というものは、その総額は大体同じなのに不況というものが到来するのだから不思議でしょうがない。恐らく世の中の金持ちと呼ばれる富裕層たちが手持ちの巾着のひもを締めているから、この大不況というものが到来しているのだと素人ながら考える。
さて、話題を霊魂調査に戻って進めよう。先日、久しぶりに長野県M村を訪ねてきた。韮崎から国道141号をひたすら野辺山を目指して車を走らせていくのだが、清里辺りまでは太平洋側の天候なのだが、野辺山に差し掛かると天候が日本海側の天候に一変してしまうから大変だ。何しろ野辺山辺りで吹雪に見舞われたら大変である。
東京暮らしの永い人間にとっては雪国の怖さを知らないから、吹雪の中の車の走行は下手すれば命取りとなる。そんな心配をして出かけていったが、まだ野辺山高原の道路は路肩に残雪が見られる程度で大丈夫であった。やれやれ一安心だ。これも地球温暖化のせいなのだろうか、他人事みたいだけれど、ちょっと心配だ。
筆者が呼んでいるM村の「奇跡の森」についたのは朝7時半頃だった。気温は3℃でそう大して寒くはなかった。辺りは残雪があってうっすらと雪化粧をしている。もうかれこれ30回ほど「奇跡の森」の調査を続けているが幽霊クリウは筆者の前には姿を現すことはない。これは霊魂が人間に憑依する大きな特徴である。遭遇した最初の時だけ姿を現して、その後はその人間の前に大きく姿を現すことはないという性質を持っているようである。
午前10時、「奇跡の森」にさわやかなローレライのメロディが流れてくる。目を閉じて聞く。すがすがしいひとときだ。このメロディはM村の防災無線から流される時報の音なのだけれども、なんとなくメルヘンティックな瞬間である。「奇跡の森」で腰を下ろしてこの曲に耳を澄ましていると何となくいにしえの世界に引き込まれそうになる。筆者がこのブログのタイトルを「ローレライのうた」としたのも、この雰囲気があったからである。
写真は最近の「奇跡の森」の姿である。雪化粧の中にいるとあちこちに積石塚古墳と思われる古墳状の小さな墳墓の姿が見えてくる。辺りが緑に覆われ出すと彼らの姿を見ることは出来なくなる。来年は国内の研究機関と合同で調査を始める予定なので、少しは死後の世界の科学的なデータが得られるだろうと期待している。

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2008年12月27日 (土)

飯島 愛さんの死と霊魂研究

Aiiijima2 年末、クリスマス・イブの日から元タレントの飯島 愛(本名・大久保松恵)さんの訃報が全国的に駆け巡っている。景気もよくないし毎日、悪いニュースばかり流れているから、またまた気がめいってしまう。
飯島 愛さんの絶命するまでの足取りというか精神の病という過程がテレビのニュースなどで流されているので、死亡原因は公式的には不明と報道されているが自殺とみて間違いないだろう。
彼女は生前、病院の診察や警察に出向いていろいろ相談していたらしいが、やっぱり最期は自分で自分のいのちを絶つという道を選んだとしかいいようがない。
やはり、ノイローゼという精神の病気は普通の病院では治せないということを彼女が身をもって証明してくれたのかもしれない。
最近、いろいろな大学や研究機関で「死生学の研究」というものが進められているが、現在はバラバラな研究なので全国的な規模で統一した組織に発展させる必要があるのではないかと考える。
それから筆者のこれまでの霊魂研究から言えるのは自殺のあった場所で霊魂を強く感じるようになったと説明しているが、自殺によって世に言うところの浮かばれない「浮遊霊」がそこにいるからではないかと思うことがある。自殺による死の選択はその人の死後に大変な事態が待ち受けているのかもしれない。
自殺と霊魂の調査を無理やり結び付けようとは思わないが、精神の病というものはそもそも生きた霊魂の世界の問題なのではないかと思っているからである。
そして朗報としては国内のある研究機関から筆者が調査している「奇跡の森」を来年調査したいと申し入れが来ているので、第三者の目線で死後の霊魂の科学的な調査が進められることを期待している。
先ずは36歳の若さで自らの命を絶った飯島 愛さんの御霊に黙祷。

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2008年12月23日 (火)

幽霊が電車を止めた!?

Psi012 線路内に人?朝のJR中央線ダイヤ乱れる (読売新聞)、このような衝撃的なニュースが12月15日に流されていた。
詳細は15日午前7時50分頃、東京都国分寺市本町2のJR中央線国分寺駅構内で、高尾発東京行きの上り快速電車(10両編成)の運転士が、線路内で人を発見したとして緊急停車した。駅員が確認作業にあたったが、人の姿はなかったという。JR東日本八王子支社によると、上下線で特急を含む計16本が最大16分遅れ、約2万1000人に影響した。という内容だった。
さて、このニュースの真相はその後明らかにされていないが電車の運転手の単なる錯覚だったんだろうか、参考までに駅構内の写真を撮ってみたが、確かに駅構内ではたくさんの乗客がホームにいるのだから線路内に人がいたとしたら彼らも同じものを目撃していても不思議ではない。
現実的に見れば、この事件は電車の運転手の眼の錯覚として処理されるに違いないが、筆者は単純に目の錯覚として処理すべきではないと考える。
2002年に筆者が名づけた奇跡の森で霊体験をしてから、何かしらないが霊魂が存在する場所が分るようになってきた。まだ科学的な調査は行っていないが電車がその一つのよい例である。往来する電車を見ることによって霊を強く感じる電車と感じない電車があるのである。要するに人が飛び込み自殺をした電車は霊が強く感じられ、飛び込み自殺にあっていない電車は霊を感じないということなのである。
若し人間の霊能力を科学的に証明しようというのであれば、電車の往来いの多い鉄道の駅構内で霊能者に立ち会ってもらい霊を感じる電車と感じない電車を見分けてもらえば良いデータが取れるのではないかと思う。
写真は駅構内で駅員が目撃したとされる幽霊のイメージ写真である。確かにホームにたくさんの人がいるので、線路内に人影があればたくさんの目撃談があっても不思議ではない。

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2008年12月 7日 (日)

幽霊とひとだまの役割(2)

Ghost001 以前、ここのブログでも「幽霊とひとだまの役割」というテーマで記事を書いたが、そのテーマをちょっと掘り下げて説明したい。
いろいろな方が死後の世界の存在について肯定、否定という立場で意見を出されているが、多くの方の場合、その殆どの方が幽霊やひとだまというものを見た、或いは遭遇したという経験がないままに意見を述べられているということは科学立国日本の嘆かわしい現状を見ている思いがする。
確かに霊体験というものは、どういうものか筆者としても説明が難しいが「悪魔を見分ける四つの鍵」で紹介しているように次の三つの事象を参考にすればよいのではないかと考える。

◎筆者の考え方
 ・身体(特に肩)に異変が生じる
 ・夢でうなされるようになる
 ・身の回りで不思議な現象が起こりだす
特に三番目の身の回りで不思議な現象が起こりだすときには写真にその不思議な光景が写り出すからよく分かる。
とに角、不思議な体験をしないで死後の世界を論じるのは「愚のこっちょ」であると思う。
さて、筆者の体験から見た場合、確かに筆者が体験した不思議現象の数々が死後の世界を物語っているという確証は得られていないが、筆者が確信している項目に

◎筆者の体験から死後の世界を確証するもの
 ・彼らには質量があるから移動することができる
 ・人間のようにコミュニケーションが可能で意識を感じることが
    できる
以上の二点があげられる。とに角、不思議な体験をしないで死後世界の存在の有無を論じるのはもってのほかということである。
では、「幽霊とひとだまの役割」とはなんぞや?である。筆者のこれまでの体験や調査から挿絵に示すとおり

①ひとだま:屍(土葬の時代のお墓も含む)の近くで墓守のような役割  をしている。
      地上2m付近を飛び回ることができる。
②幽霊:ひとだまより活動範囲が広く、無色透明で人間に憑依
    したりガスやホコリなどを集めて人間のような姿かた
    ちを表わすことができる。
このような形に纏めることができる。従って、ひとだまの目撃談があった場所の付近には必ず人間の屍があると思って間違いないから、行方不明者などの捜査に活用できると思う。

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