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2007年10月

2007年10月30日 (火)

霊魂と金縛りのこと

Sazanka01 さざんかが美しい花を咲かせる季節となった。以前、ここのブログでも私の体験として金縛りのことを紹介したが、人間は誰でも少なくとも一度や二度は夢の世界で金縛りにあっている。
そして、幽霊との遭遇談も世間では多く報告されているが、超心理学風に表現すると遭遇状況などのデータというものに非常に乏しい。
しかし、医療関係者や宗教関係者では少なくとも幽霊やひとだまを見たりした人もたくさんいるのは事実だ。
死後の世界や幽霊の存在論争が今もなおいろいろなところで繰り広げられているが、兎に角、金縛りや幽霊との遭遇体験を公的機関でデータ収集すべきでないかと思う。
私は金縛りの体験者は間違いなく、体験した時点で気づかないうちに霊魂たちと何らかの形で接触しているものだと考えている。いろいろな体験のデータは間違いなくあの世の存在を物語ってくれると思う。
写真は我が家で咲いたさざんかの花である。北風もそろそろ永い眠りから目が覚めて吹き出すだろう。

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2007年10月23日 (火)

幽霊にはどうして・・・

Yu31 日本の幽霊にはどうして足が無いのだろうか。生命をもった動物や昆虫たちには移動するための足というものが必要なのに、さて、どうして幽霊には足が無いのだろうか。
私は幽霊の姿を3枚写真に収めているが、確かに彼らには足らしいものは見当たらない。
日本の幽霊は昔から写真にあるように、確かに足は描かれていない。欧米ではシェークスピアのリア王などに描かれている幽霊は足を持っている。これは文化の違いからなのだと思うのだけれども、間違いなく私が写真に収めた幽霊たちには足が無い。
よくよく考えてみれば、幽霊というものは生きた人間と違って足で歩く必要は無い。静電気のようなもので周りの粉塵を集めて人間の格好を作ればよいのである。
Morinosei003 だから上半身だけあって下半身の姿は不要なのだと思う。それとも、下半身は退化してしまったのだろうか。
下の写真は筆者が撮影した幽霊の写真である。確かに足が無いのが見て取れると思う。

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2007年10月15日 (月)

霊魂と静電気

Bonbori002 霊魂と質量について前の記事で説明したが、その他に霊魂というものは霧や靄(もや)に似たような性質を持っているのではないかと思う。
霧や靄というものは自然界で発生するものだから一般的な自然現象である。しかしながら、私が近くの水汲み場で霊体験した場所では、時々、写真に紹介するように靄のようなものを1本の杉の木付近で目にすることが出来る。
これは肉眼で見える場合と見えない場合があって、肉眼で見えない時はデジカメの液晶画面で確認ができることもある。
私が思うには霊魂というものには小さな静電気があって、その力で大気中のゴミやホコリを集めているのではないかと思っている。その姿が世間では一般的に幽霊と呼ばれているのではないだろうか。
これまで、私が霊体験した場所の静電気や磁界の異常を測定器で調査しているが、現在までは周辺での大きな異常は確認できていない。
これは、はっきりと確認していないが彼らの静電気が非常に小さいか、または彼らが移動しているので測定できなかった可能性もあると考えている。

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2007年10月11日 (木)

霊魂と質量のこと

Entity01 先の記事(幽霊、心霊写真との比較)でも述べたとおり、私が遭遇した幽霊(森の精)には「質量」というものが確認できる。
質量というのは簡単にいうと、ある物体が「物を動かす力」を持っているということであると私は思う。何しろ森の精は垂直に地面に立っているということ、2番目に彼自身が何らかの力で移動しているということである。確かに私が奇跡の森で出会ったひとだまもフワフワ空中を飛んできた。質量という言葉は物理の世界でもいろいろな意見があって、私のような素人にはひとことでは説明が出来ないが、幽霊やひとだまがこの世に存在する証として「質量」を取り上げることは必要だと思う。アメリカで制作された霊魂に纏わる映画「エンティティ(実在するもの)」でも霊魂と質量が主なテーマだったと思う。写真は映画エンティティから。

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2007年10月 8日 (月)

幽霊、心霊写真との比較

Ghost01さて、話を元に戻して奇跡の森での幽霊の行動について話してみよう。超心理学という世界では死後の世界が存在するという考え方と死後の世界は存在しないという二極の考え方があるようである。
このブログでは、もちろん、死後の世界は存在すると仮定して話を進めている。何故なら、私自身が幽霊との遭遇体験者であるからである。
奇跡の森の幽霊は、どのように私の前を移動していったかというのを説明すると、まるでなめくじが地面を這っていくかのような動き方である。
まるで地球の重力を受けて地面を這うように移動している。中心に黒っぽい人間の上半身のような核があって、その周りを薄いガスが覆っている。 移動の速度は5~7秒ほどで林道を斜めに横断しているから、普通の人間の歩く早さに近いといえる。
掲載の写真は連写した2枚の写真を1枚に張り合わせたもので、幽霊の形や大きさ、動き方が理解できるだろう。
信じられない方もいるかと思うが、これは間違いなく心霊写真の類ではなく、黒っぽいガス状のものが私の目の前を横断していった証である。

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2007年10月 5日 (金)

幸せはこころの中に(痴呆との闘い)

Happy01 ちょっと話題をそれて、痴呆治療について心理学の立場から話してみよう。
私は小さい頃から人一倍泣き虫だった。末っ子だったので、よく寂しさの余りに仕事に出かける母親の後を泣いて追っかけたものだ。そんな母が最近、大分年老いてきて数年前に痴呆患者のような話を口にするようになった。自分の娘に向かってドロボー呼ばわりしたり、自分が話したこともすぐ忘れるなど痴呆患者特有の症状がところどころに見受けられた。
私たち兄弟はその時、家族会議のようなものを開いて病院に入院させるかどうかを話し合った。
その時の家族会議の結論は「しばらく様子をみてから」だったが、あんなに健常だった母が年老いて訳の分からないたわごとを口にするなど私には思いもしなかった出来事だったのである。
現在、私の母親は長男夫婦といっしょに住んでいるので、兎に角、病気の改善に役立つだろうと考えて私と姉の住所を印刷した葉書を数十枚ほど母親に渡して、なんでもいいから思ったことを書いて送って欲しいとお願いした。その後、暫くしてから母親から月に2~3枚ほどの葉書が届くようになったので、その都度、電話して葉書が届いたことやいろんな世間話をしている。
最近、不思議なことに母親の痴呆症状は驚くほど改善している。やはり、年老いてくると畑の肥料がなくなったので買ってきて欲しいとか、こういう懐かしいものを食べたいなど、ちょっとしたことが周囲の人間に気兼ねして話せないことが多いのに気づいたのである。
葉書の内容から、母親が欲しそうなものを宅急便で送ってあげると子供のように喜んで周囲の人に分けてあげている。
この体験から私が思うには、年老いてきた人にはなるべくこころの中に閉まっている欲求を周囲の人が気がついて何らかの形で表現するよう支援してあげるのが痴呆の治療に役立つのではないかと考えている。
現在も私の母親はせっせと日常生活のことを葉書に書いて私と姉に送り続けてくれる。母の元気な姿がとてもうれしい。

けしきが
あかるくなってきた
母をつれて
てくてくあるきたくなった
母はきっと
重吉よ重吉よといくどでもはなしかけるだろう
               八木重吉

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