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2007年9月

2007年9月30日 (日)

幽霊調査と福祉

Yutai2 幽霊の調査を行っているのが人類の何の役に立つのか自問自答するときがある。
多くの人は多分、こんな得体の知れない調査を不可思議な考えをもって見つめることだろう。
しかしながら、エイズなどの重い難病をかかえている人や事故などで不幸にも死に直面している人たちにとっては、死とは大変恐ろしい存在であることは確かである。
こういう人たちには世界各地のホスピスなどの施設でこころのケアが行われている。
このような人たちに希望があれば私が行ってきた調査の数々を現実の話として希望者に聞かせてあげるのも死後の世界があるという一途の希望が持てて、こころのケアに繋がるのではないかと思う。
死後の世界が間違いなくあることは確信しているが、まだ科学的に裏づけが取れていない。もし福祉に役に立つのであればこのような体験談はホスピスのボランティア活動に役立てることができるだろう。
Yuurei01 2枚の写真は1枚目は中世ヨーロッパで考えられていた死者が天国に召されるイメージを絵にしたものである。もう1枚は私が奇跡の森で写真に捉えた幽霊の写真である。
両手を挙げているところなどが1枚目の絵と大変よく似ている。私の体験談が死に直面している人たちのために役立つことを期待しているところである。

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2007年9月24日 (月)

夢と現実、この不思議な世界

Fuukei02 さて、話を奇跡の森の調査に戻してみよう。
9月17日、久しぶりに奇跡の森に足を運んできた。もう24回ほどこの場所に足を運んでいるが、幽霊(森の精)は私の前に姿を現すことはない。
今回、まだ調査を行ってなかった奇跡の森の入り口付近の100坪ほどの平地を調査した。ここは周囲と違って大きな樹木が育ってなく、幹の細い樹木で覆われた場所だ。
これまで、ここは何らかの遺跡なのかと考えていたが、調査の結果、鉱山の作業小屋跡だと判明した。
ちょっと、こだわりがあるが平地には何かの黄色い溶剤が固まって残っており、恐らく砕石したものを溶剤を使って処理していたものだと考えられる。やっぱり、ここの鉱山は単なる大理石の鉱山ではなかったのだ。
まだよく分からないが、私が森の精と遭遇した後に体験した夢の変則的体験に出てきた屋敷が気になっている。
それは図に表したような屋敷であった。母屋のような屋敷の前に3棟の蔵のようなものがあった。私は手前の蔵のようなところに住んでいて、正面にある母屋に入るのがとても怖かった。
その母屋に引きずり込まれると感じるときがあり、そのときは自分の生命の危険を感じずにはいられなかった。
夢と現実、どこか似ているところがある。この不思議な世界の結びつきを今の私にはどう表現すればよいか分らない。

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2007年9月21日 (金)

中央大学も面白そう

Chuouunv またまた、ちょっといっぷく。
先日、仕事の関係で中央大学多摩キャンパスに出かけてきた。さすがに生徒数10万人を誇るマンモス大学だ。構内はとてつもなく広大でキャンパスの端から端まで歩くのに時間がかかって汗が出る。
面白いと思ったのは、この大学の理工学部に来年「生命科学科」というのが新設されるらしいのだ。ちょっと広報の方へ足を伸ばして尋ねてみたが、詳細はまだ分らないということだった。
しかしながら、超心理学という立場から考えてみると「生命科学」と聞くだけで気持ちがワクワクしてくる。
来年から若い人たちが間違いなく「生命科学」の立場から生命の不思議について勉強してくれると思うとこころ強い。
写真は中央大学八王子キャンパスの建物(ヒルトップ)である。この前に立って目の前の風景を見つめていると、何か1枚の大きな絵画や映画の画面を見ているような錯覚を覚えるときがある。
このような場所でオペラや能などを演ずると、神秘的でとてもユニークで面白いだろうな。

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2007年9月19日 (水)

今、売れている超心理学の新刊書

Book01 さて、ちょっといっぷくして最新の超心理学の新刊書を紹介しよう。題名は「量子の宇宙でからみあう心たち」副題は「超能力研究最前線」である。著者はアメリカの超心理学者ディーン・ラディン、訳者は石川幹人(明治大学教授)である。
訳者の石川先生は現在、日本超心理学会の幹事もされていていつもお世話になって感謝している。石川先生からのメールで新書のことを知って私も同書をさっそく注文して一読してみた。
このような本は1回程度読んだからといって、すぐに内容が全て分る人は少ないと思う。何回か読んでいくうちに著者が何を云わんとしているのかが少しずつ理解できるようになる。
私もまだ軽く斜め読み程度で読んでみたのだが、なるほど、最近の超心理学の世界にいい本が出たなぁと一人感心しているところである。
読んだ後の感想としては題名というか副題というべきか定かでないが、最新の超心理学バイブル!などと呼んでも差し支えないだろう。
これから超心理学を学ぼうという人やこれまでに超心理学に興味を持っている人たちには絶品の一冊である。
発行は徳間書店、定価は1800円+税となっている。

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2007年9月16日 (日)

霊魂には大きさがある

Soul02 霊魂というものには生前の大人や子供のように大きさというものがあるようだ。
天外伺郎(てんげしろう)という方が書いた「ここまできたあの世の科学」には、死という世界には時間というものは存在しないと説明されている。この表現は私のような凡人にはなんとなく理解できるようでもあるし、理解できない難問でもある。
私には死という世界は時間が止まるという表現よりも霊魂の成長が止まるとみなしたがよいのではないかと思う。
これは近くの水汲み場で霊魂たちと遭遇したとき、そこに現れた霊魂たちの姿から判断できるからだ。
私がそこで霊体験したとき、そこには間違いなく霊魂が2つ存在した。この霊魂たちは親子の霊魂と考えられ、向かい合って空中に舞っていた。親の霊魂は写真分析から長さが40cmほど、子の霊魂は20cmほどだった。これは先に「ポルターガイストそして事実の記録」で書いた霊魂との遭遇体験時に写真とビデオで捉えたもので、確かに白いものが向かい合って空中に舞っている。
この霊魂の特徴は体の下の方に黒っぽいキモのような塊を持っていることである。私たち日本人は昔から動物たちのキモというものを魂の源のように考えているが、霊魂というものは中心に、このキモを備えているのではないかと思う。
キモという言葉は最近の若い人たちには「気持ち」のようなものを表しているようだが、昔から日本では動物たちの肝・胆・膵を総称して指していることばで、これらを食すると生命の活力がみなぎってくると考えてられていたものである。
写真は私がポルターガイストを目の当たりにしているときに撮影したもので、上空に白い物体が2つ向かい合っているのが分る。死後の霊魂は生前の霊魂の大きさで存在し続けているのである。

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2007年9月14日 (金)

ポルターガイストそして事実の記録

Hitodama04 ポルターガイストについて、ひとつ話してみよう。
ポルターガイストとは以前、ここのブログでも取り上げたのだが超自然的に物体が移動したり、誰もいないのにある部屋から物音や話し声がするといった類の内容を耳にすることが多い。
私の場合、近くの水汲み場で目の当たりにしたのは雑草の葉っぱがあたかも蝶々の群れのように羽ばたき、何者かがその雑草の表面を動き回ったことだった。風や小動物たちが関係していたら幹から揺れている筈なのに、幹は一切揺れていなかった。これは単なる自然現象では説明できるものではない。
こんな話は誰に話をしても信用してもらえない。葉っぱが蝶々の羽ばたきのように自然に動くはずはない!これが現代科学の常識の世界だろう。こんな話をすると話した人間がきちがい扱いにされてしまう。現代科学の常識というのは誠に情けないものだ。
ドイツの詩人ライナー・マリア・リルケが書いた豹という詩がある。彼はこの詩を書くためにわざわざ動物園の豹の檻の前に出向いて、その豹の動きを正確に詩に書きとめたのは有名な語り草となっている。
要するに私の場合も、これと同じことだろうと思う。「雑草の葉っぱがまるで蝶々の群れが羽ばたいているように動いた」これは私が目の当たりにしたものを正確に表現したものだ。
この雑草は主にいたどりの群生であったのだが、私はこの時、間違いなく雑草の表面に目には見えない何者かがいると感じて写真撮影とビデオ撮影を行った。
その時写した写真とビデオには間違いなく不思議なものが上空に写っていたのも事実だ。これは錯覚とか妄想などの世界ではなく事実という世界の出来事なのである。
兎に角、ポルターガイストのようなものを目の当たりにしたら、その状況を正確にメモに残しておくことが必要だと思う。
写真は、私がポルターガイストを目の当たりにしているときに撮影した不思議なものの姿である。

通り過ぎる格子のために
疲れた豹の眼には もう何も見えない
彼には無数の格子があるようで
その背後に世界はないかと思われる
     ライナー・マリア・リルケ

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2007年9月12日 (水)

こころ(霊魂)のかたち

Heart01 今日、安倍首相辞任のニュースが日本はもとより世界中をかけまわった。いろいろな人の話を総称すると、どうも安倍さんのこころの病が原因らしい。参院選の惨敗後、自民党内部からの批判、イラクへの自衛隊派遣延長など大きな問題が山積して、安倍さん自身が先の見えない袋小路に迷い込んでしまったことが原因だろう。
話は変わって、日本相撲界では横綱朝青龍のこころの病も大きなニュースとなっているから、どんなにえらい人間でも悪いことが続くとこころの病に簡単にかかってしまうということを証明しているのではないだろうか。
さて、超心理学という観点でこころの問題を考えてみよう。私は人類を含めて地球上の動物たちはハードウエア(肉体)とソフトウエア(霊魂)で構成されているのではないかと思う。
霊魂は肉体を制御するもので正常だと円形に近い形をしているが、ひとたび窮状に落ち込んでしまうと、その形は小さくしぼんでいくのではないかと思う。
その霊魂が小さくなっていくと、体の制御が思うようにいかなくなって鬱状態になるのではないだろうか。こころはとてもか弱くもろいものなのである。
図は私たちのこころ(霊魂)の形をイメージしたものである。

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2007年9月10日 (月)

封印された鉱山

Hyakuban02 さて、以前、霊魂と金鉱山の関係について記事を書いてみたが、その後の調査で私が幽霊やひとだまと遭遇したM村のすぐ隣村では有名な金鉱山があることが分った。
いろいろ現場の状況などを考えてみると、私が幽霊やひとだまと遭遇した場所は単なる大理石の鉱山ではなく、隣村で金鉱が発見されたので、M村でも金を採取しようとしたものではないかと思われる。お隣の朝鮮という国で古くから伝えられているように「古い墓場には金鉱がある」という伝説は単なる言い伝えではないかも知れない。
誠にもって、ここにある百番供養塔は小さな鉱山の出入り口に建立されていて、あたかも、ここの鉱山を封印するかのように立っている。
まるでオカルト映画そのもののように思われる方も多いと思うが、私が5年の歳月をかけてたどり着いた調査結果である。
現実的に霊魂の祟りを恐れて封印された鉱山があるのは間違いない。写真は現地の百番供養塔であるが、すぐ後ろに鉱山の砕石跡が見て取れる。

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2007年9月 4日 (火)

霊魂と気の世界

Psi001 最近、霊魂たちを量子の世界から考えようという動きが一部にある。現代の科学では原子の世界までは解明されているから、その先の量子の世界に目が向けられているのだと思う。また、ある世界では霊魂たちを赤外線の世界で考えているのも事実だ。霊魂や幽霊の世界を科学的に究明しようとすると、こういう世界に落ち着いてくるのも何となく分る気がする。
しかしながら、これまでの私の3回の霊体験から考えてみると、彼らが出没したときは晴天で無風、そして辺りがとても静かだったということである。この中で辺りが静かだったことについて、ひとつ思い当たることがあるので述べてみる。
既に私の霊体験でぼんぼりの幽霊というのを紹介したが、この場所での出来事である。私がぼんぼりで初めて霊体験したのは4年前の9月12日の夕方5時ころだったと思う。いつもの湧き水の水汲みが目的だった。水汲み場についたころ、そこをねぐらにしているカラスたちがとてもうるさく騒いでいたのである。その時は、そのカラスの騒ぎ方については初めての体験だったが、何者かが侵入したので騒いでいるのだろうと思い余り関心がなかった。
その後だった。水汲みが終わって、いざ帰ろうとしたとき私の前の雑草で異変が起きていることに気づいた。これは誰に説明しても理解してもらえないが、目の前の雑草たちが一塊になって蝶々のように動き始めたのである。このときの状況を私はデジカメを持っていたのでビデオと写真で撮影している。このときはとても恐ろしい体験だったのだけれども冷静になって我に戻ってみると、辺りがとても静かになっていることに気づいた。カラスや鳥の鳴き声は一切聞こえなくなっていたのである。
撮影したビデオの映像には辺りは全く静かで湧き水の音だけが記録されていて上空には二つ不思議なものが舞っていた。本当に不思議な体験だった。このことからカラスなどの野生動物たちには、そこにいる霊魂たちの気配が分っていたので騒いでいたのではないかと思う。
海や陸上にいる野生の動物たちには遠くにいるものが見えたり、臭いで感じたりする特殊な能力が備わっていることは分っているが、これらは私たちから見れば超能力のひとつである。
このことから霊魂たちの世界は量子の中のような細かい世界ではなく、まだ実態がよく分っていない気という世界のものではないかと考えるが、さて、皆さんの考えはどうだろうか。
写真は私がいつも出かけているぼんぼりで撮影した霊魂らしいものの姿である。上空に白っぽいものが漂っているのが分ると思う。この霞のような姿は直接肉眼では見えないが、デジカメの液晶画面では見ることができた。要するに、私たちの視力限界の先にある世界が液晶画面越しに見えるのである。

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2007年9月 1日 (土)

幽霊の習性

Yuurei01 さて、世の中には幽霊との遭遇談がたくさんあるのに、どうしてこれまで科学的に解明されなかったのか考えてみよう。もし、間違いなく彼らが死後の人間の姿であったなら、どうして私たちの前に堂々と姿を現さないのだろうか。本当に素朴な疑問である。
私の考えでは彼らに私たち生きた動物と同じように習性というものがあるからだと考える。彼らの習性というものをこれまでの調査からまとめてみると次の3点に絞られてくる。
①自分(墓)の縄張りを持っていて墓守のような役割をしている
②縄張りに侵入する見ず知らずの人間には集中的に襲い掛かってくる
③自分たちに危害が及ばないと分れば、それから姿を現すことはない
よくテレビなどで山菜取りに出かけた人が熊に襲われたというニュースを聞くことがあるが、これは、そこにいる熊のテリトリーに侵入したものへの仕打ちである。この獣たちの習性に霊魂たちの習性がよく似ていると思う。
私が幽霊と遭遇した奇跡の森(長野県)では、その後、幽霊の姿は目にしない。しかしながら、私と同様に村人以外の人間がふいに奇跡の森に足を踏み入れたなら、私と同様に彼らの攻撃を受けることになるだろう。これは、間違いなく彼らの習性である。安眠の場所に見ず知らずの人間が迷い込んできたら、彼らは攻撃的にその人間の前に姿を現すのは間違いない。
写真は筆者がデジカメで写した幽霊を黒インクを抜いて印刷したものである。未だかつて、この写真に写った幽霊の謎を解いたものはいないが、彼らの習性をよく理解すれば謎が解けてくるかもしれない。

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