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2007年3月

2007年3月31日 (土)

幽霊は夜行性ではない

Gost02 幽霊というと、一般的には、それはまるでモンスターのような怖い化け物のように描写されることが多い。そして、彼らは夜の恐怖そのものだ。
インターネットで心霊写真のサイトを見回っても、夜に心霊スポットなどを撮影している人たちが実に多い。
夜というのは昔から昼間と対比されている怖い存在だから、殆どの人は幽霊は夜現れると信じているのだろう。
私のこれまでの調査では、幽霊たちは昼間に私の前にその姿を現しているのは事実である。考えてみれば分るように、彼らが私たちの前に姿を見せるのは自然の動物たちと同じ摂理であろう。相手を威嚇したりするためには自分の姿をよく見えるようにしなければならないからだ。夜間だと我々人間の視覚では十分に彼らの透き通ったような容姿を肉眼で捉えることはできないだろう。幽霊、この不思議な生き物は夜行性ではなく私たちと同様に昼間に活動しているのである。そして彼らはモンスターなどではなく私たちの死後の姿であることを忘れてはならない。

ふうれんもうろう ゆきおんじょ
ふうれんもうろう ゆきおんじょ
おんもの外のくら闇に 雪はしんしん降っている
ふうれんもうろう ゆきおんじょ
泣く子はおらんか 探しとる
         (熊本の民話から)

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2007年3月29日 (木)

オーブのデータ

3年ほど前から写真を写すと不思議なオーブたちが写るようになってきた。彼らは雨天以外の晴れの日などに写るもので、私は彼らを聖なるオーブと呼んで霊魂なのではないかといろいろな方に説明している。
これもやはり森の精と遭遇してから起こり始めたようである。
近くの水汲み場で私が泉の森と呼んでいる場所では本当に聖なるオーブがよく写真に写るので、彼らののデータを3年近くとった。
調査は簡単なもので年月日、時間、気候、気温、オーブの写った数、方位磁石の異常性などである。
測定当初はそんなに気にしていなかったのであるが、オーブがよく写り出す時期があった。自分でもその頃は何か起こるのではないかと少し心配であったが、偶然、友人のT君の訃報があった。
T君は元気そうだったが、その頃癌の病巣を取り除く手術を行っていたが様態が急変して帰らぬ人となってしまった。
まだよく分からないが、聖なるオーブが本当に霊魂だったとしたら説明ができるデータが取れたのかもしれない。グラフは時間軸を横にして、そのときのオーブが写真に写った数のデータである。

Orb01

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2007年3月26日 (月)

心霊写真と赤外線

ある掲示板でデジタルカメラや一般フイルムカメラで赤外線が写るか写らないかと論争をしたことがある。私はカメラというものは人間の目と同様だから全ての光はフイルムやCCDに反応していると主張した。その時は私も余り赤外線について知識が乏しかったせいもあるが、デジタルカメラのメーカなども一般的にはカメラには赤外線フイルタが内臓されているから赤外線は写らないと説明している。国内の大手メーカの説明もあり、その時は私の主張はみんなに一蹴されてしまった。
最近になって赤外線を利用したものには身近にはテレビのリモコンなどがあるなあと思ってデジタルカメラでさっそく写してみると、ずばり!リモコンから照射される赤外線が見事に写ったのである。
一般常識というものは何と愚かなものか、私たちはちょっとしたところに見落としているものがたくさんある。カメラで赤外線が写らないというのは真っ赤な嘘ということである。
私が言いたいのは心霊写真と呼ばれるものたちの話である。肉眼で見えていないものが写真に写る。これは、たくさんの人たちが撮影した心霊写真と結び付けられるのではないかと考える。
写した被写体の中に赤外線を発する物体があったとしたら、私たちの目には見えないものがそこに写っていても不思議ではない。
霊魂などを調査研究する過程では、不思議な現象もこのように一つずつ科学的に検証していくと難問解決の道筋が見えてくる。
写真は自宅でリモコンから照射される赤外線を写したものである。

Sekigaisen1

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2007年3月20日 (火)

変則的体験(金縛り)

Yume2 私が森の精に出会った後、毎晩のように眠りにつくと金縛りのような変則的体験があって、うなされてとても怖かった。三途の川の夢、富士山のような先のとがった山に飛んでいく夢、特に怖かったのは古い農家の母屋に引きずりこまれる夢だった。
その古い農家の母屋の夢を見るときは、怖さの余り南無妙法蓮華経とお経を何度もつぶやいていたのをよく覚えている。
要するに幽霊と出会った後に変則的体験があったのは間違いない。死後の世界は私たちの夢の世界と直結しているのである。
挿絵は夢枕に立つ人々。

こころの奥底は夢のいとなみに開かれている
閉ざされた室内の亡霊の手のように
夢はぼくらの中にあり、つねに命をもっている
そして三者はひとつだ、人と、物と、夢と・・・
    フーゴ・フォン・ホフマンスタール

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2007年3月13日 (火)

馬頭観音像

Batou01 さて、奇跡の森に話を戻してみよう。この森には百番供養塔の他に馬頭観音像が建立されている。
馬頭観音はその昔、飼育していた愛馬などが死んだときに飼い主が供養のために建立したものであるが、やはり奇跡の森にあるのだから何か不吉なことがあったのではないかと疑いたくなる。
この像は奇跡の森の出口付近にあって、大きさは縦が約50cmほどで林道の2mくらい上の岩盤のところに建立されているから注意してみないと気づかない。現代と違って昔は馬や牛が木材の運搬手段の主流だったから、この場所は山から木を切り出した際の林道であったことがよく分かる。lこの馬頭観音を建立した飼い主は、とてもこころのやさしい人だったのだろう、この像はなんともいえないほど観音様の姿によく似て美しい。

運命はこの暗い胸壁に腰掛けて渋面を作る。
私を迎えようと門が開くとき
中庭の向こうからうつろな呟きの声がして
何とも恐ろしいことのあったのを告げる
         アン・ラドクリフ

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2007年3月 3日 (土)

幽霊の心理学

Kao01 私が不思議な体験をする場所には人間や動物の顔のようなオブジェがある。いずれもコケやシダ類が木の皮や石の表面についたものが偶然に人間や動物のような顔になっているものである。
昔はよくテレビなどで人面魚とか人面岩とか騒がれたことがあったが、なにしろそのオブジェたちには不思議というしか言葉が浮かんでこない。
もし、死後の世界が本当にあって、そこは肉体のない寂しい世界であったとしたら私たちの霊魂はきっと生前の肉体のようなものを欲しがるに違いないだろう。
私たちの周りにたくさんある憑依伝説、形見の人形に霊が乗り移ったりした話は本当の話で幽霊の心理学として説明できるものなのかもしれない。

わたしが深い眠りに就き、
お礼を言えなかったとしても、
御影石のくちびるで
伝えようとしているのを知ってください
        エミリー・ディキンソン

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