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2006年12月

2006年12月31日 (日)

ポーのことば

Poe 平成18年もいよいよ今日が大晦日だ。せわしい毎日が続いたが、ここで過ぎ去った1年を振り返って見ることも必要だろう。
久しぶりにポー全集に目を通す。私は魂(PSI)に関するいろいろな会合に出かけていってはポーのことをよく研究している人がいないか尋ねている。
私は若いころポーは単なるオカルト作家だろうと考えていた。アッシャー家の崩壊やら黒猫などがとても神秘的で面白かったからだ。彼の文書表現もそれに増してすばらしい。
若いころはそんな風にポーの印象を持っていたのだが、どっこい、ポーは科学者の一面も持ち合わせた人間だ。そして彼はユリイカ(真理)なるものを創設し、魂のことを科学的に見つめていたようだ。
最近の科学者や心霊に興味のある方々は科学的データというものにそそのかされているのだろうか、心霊現象というものに対して至ってデータ過敏症になっていないだろうか。
ポーの残した功績をよく吟味して現代科学で検証することも必要だろう。

かくして引力ならびに斥力(電力)なる二つの本来原理ー物質的なるものと精神的なるものはーここにこの上なき固き友情の絆に結ばれて、永久に形影のごとくに相伴うのであります。かくて形体と霊魂とは手に手をとりあって進むことになります。

東京創元社 ポー全集第3巻より

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2006年12月24日 (日)

メリークリスマス!

Cross1 私は宗教家でも科学者でもない一般の民間人だ。それが、どういう訳か不思議な世界に入り込んでしまっている。
現在、私が泉の森と呼んでいる場所がある。そこは私の家から車で15分程度の場所で地域の人たちが天然水の水汲み場として利用しているところである。
この場所で時々私は不思議な体験をする。何故だか分からないがそこで写真を撮ると今でもオーブがよく写る。
その水汲み場所は山中にポッカリと穴が開いたような空間になっていて小さな湧き水がいくつか湧き出している。そこでは木々の中から空がよく見える。
この場所は昔から怪談や奇談のような恐ろしい伝説があった訳ではなく、ごく普通の平凡な場所なのだけれども、こういう場所に浮遊霊と呼ばれているものが集まってくるのではないかと考えている。
今でも不思議なのだけれども、そこには小さな砂防ダムがあって、その場所には十字架や文字のようなものが鮮明に現れている。さては、これは誰かがイタズラに書いたものだろうと当初は考えていたのだが、誰かが引っかいたような痕跡はどこにも見あたら無い。
何かオカルト映画のように誰かが作ったものと思われてもしょうがないのだが、自然のなす力であった。十字架と言えば明日はクリスマスだ。メリークリスマス!

Jisus01 彼は言った
自分は再び此の世へ来ると
私は基督より正直者があるとは思えない
私は彼が再び来ることを信ずる
             八木重吉

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2006年12月14日 (木)

洗礼

先に交霊術のことを説明したのだけれど、ひとつ大事なことを忘れていた。
誰でもが山中の静かな場所であれば交霊できると書いたのだけれども、大事なこととは第一に霊魂たちの洗礼を受けることが必要だ。
洗礼とは何か、それは金縛りのような体験である。私の場合は奇跡の森で森の精(幽霊)と出会った後、何日も夢でうなされた。それはとても恐ろしい夢でどこか知らない古い屋敷のようなところがよく出てきた。
その屋敷の前には三棟の倉庫のようなものがあった。その屋敷には人は誰もいなかったのだけれども、そこに引き込まれると自分の生命が危ういと強く感じられた。
それが不思議なことに何日も続いた。夢の中にその屋敷が出てくるたびに自分は南無妙法蓮華経を何度も唱えていたことを今でもよく覚えている。
その後の調査で奇跡の森は、実はそこは古い墓場なのではないかというところまでたどり着いた。
要するに、私は見ず知らずの墓場に迷い込んでしまったばかりに、そこで霊魂たちの洗礼を受けてしまったのではないかと考えている。
山中で不思議なものたちが現れ始めたのも、その場所を供養してからだ。平成の交霊術、それはまず第一に霊魂たちの洗礼を浴びることだろう。

Dokuro01 ソロモン・グランディ
 げつようにうまれて
 かようにせんれい
 すいようにけっこんして
 もくようにびょうき
 きんようにきとく
 どようにしんで
 にちようにはかのなか
 はいそれまでよ
         ソロモン・グランディ
  訳 谷川俊太郎

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2006年12月10日 (日)

平成の交霊術

Yuurei02 これまでいろいろな所に出かけては幽霊の存在を説明しているのだが、おおよその人は私の体験談を信じられないのではないか。そんな感じがしている。
自分自身でもとても信じられないのだが、彼らの存在は間違いない事実なのである。
しかしながら、彼らの存在を証明しようとするのには大変だ。何しろ頻繁に姿を現すわけではないからだ。最近、専門の2つの学会で私は霊体験した場所のひとつを詳しく説明してきた。
信じられない人や霊体験をしたいと考えている人がいたら是非、自らこの場所で霊体験して欲しい。
幽霊や霊魂の出没時間帯はこれまで一般論として信じられてきたように夜行性ではなく、彼らは日中に行動している。それも人気の少ない山中だ。穏やかな晴天の日、辺りが静かで無風のとき彼らと交霊が出来る。交霊するときは物音や声を出してはならない。集中して、ただ静かに頭の中でそこにいる霊たちに語りかけていれば、何度か足を運んでいると彼らの方から姿を現してくれる。
信じられない話に見えるだろうが、これまでの体験から得たものである。霊能力は人間誰しもが備えているものなので必ずこのやり方で誰でも交霊ができるだろう。

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2006年12月 9日 (土)

電線の鳥

最近、若い人たちの自殺が相次いで報じられている。今日もさいたまで中学生が自分は再び蘇って人生をやり直すと遺書を残して大事な命を絶ってしまっている。
幽霊やあの世のことを調べている自分にとってはこれらの報道は心苦しい限りである。例えば死後の世界が間違いなくあるとなったらどうだろうか。それを信じて自殺者が更に増えることはないだろうか。そんな心配事が頭の中をよぎる。
以前、自殺未遂をした人の話の中にこういうのがあった。知人の自殺を思い留まらせようと親身になって相談にのっていたら、いつの間にか自分も自殺寸前のところまで引き込まれてしまったのだという。
幽霊や死後の世界を調べているときも同じことが言える。なんとなく自分がいつのまにか危険な死の淵に吸い込まれていくような気がするときがある。多分、自殺者の心境と同じものなのではないだろうか。くわばら、くわばらである。
死というものには何かしら生命にささやきかける不思議な魔力のようなものがあるのではないか。最近、そんな気がするときがある。

電線の鳥

電線の一羽の鳥のように
真夜中の酔っ払った聖歌隊のように
自由になるために
私は私のやり方で生きてみたんです

             レナード・コーエンBard01

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