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2006年10月

2006年10月29日 (日)

死とは何か

Kifujin1 さて、死とは何でしょうか。現代の常識というものから考えれば死後の世界はあるはずがない。
これが最終的な科学的見解だと唱えだすと死後の世界はありえないことになり、そこに抜け道が生まれてきて黄泉の国のような夢物語が生まれてくるのではないだろうか。
先日、魂を科学的に研究と称する会合に出向いたときに、そこに集う人々の発言内容からそう感じた。
ある人は死後の世界は調度、現実を映し出す鏡のような世界であるとかそこには竜神様が棲んでいる世界だと称する人々がいるのは事実だ。何が科学的なのだろうか。
私は幽霊や霊魂のようなものとまだ3霊しか接触していないのだが、それでも普通の人と比べれば格段に多いと思っている。
それは死後の世界が間違いなくあるということを私たちに教えているのではないか。そんな感じがする。
先日、NHKで放映していたプラネットアースを見ていて思ったことなのだけれども、考えてみれば地球上の生命体は不思議なものたちばかりだ。植物は動物のように心臓などの五臓六腑が無いのにも関わらず、どうして生命を維持できるのだろう。そして彼らは敏感に四季を感じて花を咲かせる。種は場合によっては1万年も眠ってそして現代に花を咲かせることが出来る。
私たちがどうしても逃れることが出来ない死とは、調度、植物の種が大地に眠るように肉体の心臓が止まった時から魂というものが身体から抜け出して深い眠りの世界(夢の世界)に入るものなのかもしれない。

こころの奥底は夢のいとなみに開かれている
閉ざされた室内の亡霊の手のように
夢はぼくらの中にあり、つねに命をもっている
そして三者はひとつだ、人と、物と、夢と・・・
    フーゴ・フォン・ホフマンスタール

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2006年10月22日 (日)

フィールドワーカのこと

Eye02 フィールドワーカという言葉を聞くとすぐに早稲田大学の吉村作治教授が頭に浮かんでくる。
吉村先生はエジプト考古学の権威で自ら現地に出向いてピラミッドの発掘調査を行っているのは有名だ。
そのピラミッドというのも実は大きな古墳なのだからお墓の調査を行っているのには間違いない。
以前、某民放のTV番組で吉村先生がお話されていたものだが、ピラミッドの発掘作業は基本的に現地の人間にお願いしているのだという。
それはエジプトに古くから伝わっている宗教上のしきたりを重んじてるからである。
話は変わるが私が写真に撮った不思議なものたちの姿を見ていろいろな人が「これは面白い」などと発言されることがあるが、調査をしている本人に言わせるといささか侵害だ。
何しろ現場の状況は実に恐ろしいときもあって真剣そのものだからだ。
日本人はよく<平和ボケしている>などと言われることがあるように海外特派員のニュースで戦闘シーンが流されることがあっても、それらを映画の戦闘シーンと重ね合わせて見てしまう人が多い。
従って私の写した不思議なものたちを見ても大半の人がオカルト映画のシーンだと考えてつい「これは面白い」と発言してしまう。
私が日本超心理学会の門をたたいて1年が経過したが、やはり超心理学のような世界でもフィールドワーカの役割は大きい。
ちゃんとした科学的な視点でデータを残す、科学というものはそのような地道な活動のようである。
私は是非、若い人たちの中からこういったフィールドワーカが活躍する必要性を感じている一人である。

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2006年10月17日 (火)

ホムンクルス(人工の人間)のこと

私が幽霊や霊魂の調査を行っているのは単なる興味本位からではない。
昔から語り継がれている幽霊や霊魂は私の体験から間違いなくこの世に存在していると確信しているからである。
最近、科学の見識がある方々の中からも死後の世界はあるのではないかと考えが述べられている。但し、論ずるのは簡単なのだけれども決定的な証拠が見当たらないから物悲しい。
考えてみればその昔、コペルニクスが地動説を説いたころは宗教というものが彼の前に大きく立ちはだかって邪魔をしていたのだが、科学の進んだ現代では幽霊や霊魂の存在説に対してこの現代科学というものが私たちの前に大きく立ちはだかっているのではないだろうか。
<科学というものは人類の福祉のためにある>というのが一般的な科学論のようで、確かにたくさんの学者がそう述べられている。
幽霊や霊魂の世界を怖い、恐ろしいだけの世界に留めておくべきではない。
中世のヨーロッパの錬金術の目的には下に掲げるとおり三点しるしてあるが、私はこの人工の人間「ホムンクルス」が次世代ロボットとして脚光を浴びる日が間違いなく来るのではないかと考えている。
現代のロボットたちは技術は進んでいるがまだまだおもちゃの域を超えてはいない。それはロボットが専用のソフトウエアというものでプログラム化され単に制御されているからだ。
Atom02 手塚治虫先生の名作にあるような鉄腕アトムのように現代のロボットたちも霊魂たちの力を借りれば、それは漫画の世界から抜け出して現実の世界になるかも知れない。
<中世の錬金術の目的>
1.卑金属を金と銀に変えること
2.不老不死の薬を発見すること
3.人工の人間である「ホムンクルス」を創造すること

挿絵は鉄腕アトム<アトム誕生>から(発行所(株)朝日ソノラマ)

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2006年10月16日 (月)

ローレライのうた

<なじかは知らねど 心わびて 昔の伝えはそぞろ身にしむ わびしく暮れゆくラインの流れ 入り日に山々 あかくはゆる>
これはローレライのうたの出だしのフレーズだ。ローレライ(ドイツ語)とは、ライン川中流の右岸にそびえる巨岩及びその岩上に憩う妖女の事。
ハイネ(ドイツの詩人・評論家・1797~1856)の詩にジルヒャー(1789~1860)が作曲した楽曲「ローレライ」が有名である。
さて、話は変わるが私の話の骨子は<幽霊>だ。2002年5月5日に私は長野県の千曲川支流を狙って渓流釣りに出かけたとき、偶然幽霊らしいものと遭遇した。
遭遇した当時は、なにか自分に災いが起こるのではないかという心配でそれはもう大変な境地であったことをよく思い出す。
写真を撮っているときは、現場だからデジカメの液晶越しになにか黒っぽいものが見えた程度なのだが、その時は単純にレンズの汚れかなあというくらいにしか考えていなかったのだが、自宅に戻ってパソコンでその姿を見たときは、それはもう何ともいえない恐怖を感じたのを今でもよく思い出す。
その後、心配になって幽霊らしいものと遭遇した場所を1ケ月ほど後に訪れたとき、同じ場所でひとだまと遭遇した。
遭遇したという表現より私に向かって飛んできたといった方がいいかもしれない。何しろ、ひとだまは私の頭上すれすれに飛び去っていったからだ。
幽霊らしいものが横切った林の中を覗いてみるとそこには無縁墓のようなものがあった。これはもう何か変だ!そう思って近くのお寺に供養の相談にいった。そこのご住職は親身になって私の相談にのってくれたが、あいにく自分は心臓が悪いからこれこれこういう風にして供養をしてきなさいとアドバイスをしてくれた。
そんな感じで私はその場所を<奇跡の森>と呼んで供養を兼ねて調査を始めた訳である。
ある日のこと、いつものように<奇跡の森>を訪ねて調査を行っているとき美しいメロディがそよ風とともに流れてきた。
それは冒頭に上げたローレライのメロディだった。なんとも言えないほどのメルヘンチックな雰囲気だ。その時、腕時計に目をやって分かったのであるが、その村の時報だったのである。
本当に自分が自然の中に溶け込んでいるような雰囲気だ。なるほど、ここは近くに千曲川が流れているからであろう、ドイツのライン川とまではいかないがローレライのメロディがよく似合う場所である。
私は自分が遭遇した幽霊らしいものに名前をつけた。それが<森の精>である。

Loreley

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