2009年10月30日 (金)

幽霊は足跡を残す

Sa3 「幽霊は足跡を残す」と言うと、ちょっと大げさであるが、どう考えても幽霊が足跡を残すはずがない。添付の写真に示しているように筆者が調査している長野県M村の林道で撮影した幽霊クリウが林道の林の中に消えていった場所(左の写真)をそっと覗いたところ、驚くなかれ!そこに水仙のひとかたまりが小さな花園を作っていた(右の写真)。
これまでいろいろ調べてきたが、奇跡の森の界隈には水仙が咲いている場所は他にどこにも無かった。水仙というものは球根から芽を出し花を咲かせるものであるので、自然にこの場所に咲いているのはあり得ないことである。
そして、このひとかたまりの水仙は間違いなく誰かの手で植えたものだろうと結論付けた。水仙の花が咲いている場所を奇跡の森から更に離れてM村全体で調べてみると、1Kmほど下流にある菩提寺の回りに桜の季節になるとたくさんの水仙が咲いている。この場所の水仙が一番近い。と、言うことは、奇跡の森の林道で幽霊クリウが姿を消した場所に咲いているのは、この菩提寺から持ってきて誰かが植えたのではないかと推測している。
要するに、筆者が幽霊クリウと遭遇した同じ場所でM村の誰かが幽霊クリウを目撃したので、この場所にわざわざ水仙を植えたのではないか?と推測できる。
この水仙の花はここのブログでも過去に「不思議な花園」として紹介したことがあるが、これは間違いなく幽霊クリウが同じ場所に現れた証である。
これこそが「幽霊の足跡」と間違いなく言えるものかも知れない。

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2009年10月24日 (土)

霊魂のぬくもり

A091024 今日のNHKのアーカイブスという番組で「ある夫婦のホスピス絵日記」というものを紹介していた。
この番組を見た感想としては、どちらかというと「死生学」というものが中心にあったと思った。近年、よく「こころの時代」という言葉がよく使われ出しているが、すべてが生命の「死」というものを受容しようという考え方が根底にあるような気がしている。
この日のNHKの番組では41歳の若さで亡くなられたご主人の最後を看取った奥さんの生き様が絵日記という形で忠実に紹介されていて大変感銘を受けた。
この番組のなかで、この奥さんがご主人が亡くなられた数日後に自宅で一人でいるときに不思議な体験があったことをお話されていた。
それは、亡くなったご主人のことを部屋の中で考えているとき、自分の顔の辺りを風もないのに生暖かい空気が通り過ぎていったのを、あれは今に思えばご主人の霊だったのではないかと付け加えられていたことが筆者の脳裏に強く残った。
この奥さんの体験は、筆者が調査している奇跡の森の林道の入り口でも時々体験することがある。不思議な現象である、確かに周囲に風もないのに生暖かい空気の塊が身体を通り過ぎていくことが何度かあった。心霊研究では五感で感じることも、よく調査することが必要だ。
霊魂には生物と同じような「ぬくもり」が間違いなくあるのではないだろうか。写真は10月24日に放映されたNHKのものである。

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2009年10月18日 (日)

古文字と心霊研究

Bonji003 「古代遺跡と霊」について筆者が制作したビデオをもとに映写と説明を先月実施したが、心霊研究を行ううえで先ず壁によくぶち当たるのが石塔や仏画などに刻まれている古文字ではないかと思う。
奇跡の森にある「百番供養塔」に刻まれている古文字は僅かな文字だったが解明に三年ほどかかった。これは石に刻んである文字が光の加減で見えたり見えなかったりするからだ。
南米の遺跡調査では研究者は夜に出かけていって懐中電灯で文字を照らし出して解読しているようである。これほど古文字を解読するのは難しく容易ではない。
先に紹介した佐久観音霊場にあった石碑の文字も同じであった。本当に古文字は何が書いてあるのか専門家でないから直ぐに閃いてこないから大変だ。
週末、近くの図書館へ出かけて「梵字」に関する書籍を読み漁ってきた。「梵字」というのはお墓の塔婆などによく描かれている不思議な文字というか絵模様のような文字だ。
最初、この石碑に書かれているのは七人の神々だろうと考えていたが添付の写真に説明している通り、オン・アロリキャ・ソワカ(聖観音真言)のことだとようやく判明した。
このように石塔や石仏、遺跡などに書かれている古文字が何を語っているのかが分れば、心霊研究にも大いに役立つものと考えている。民俗学や古代史、考古学の若干の知識も必要である。

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2009年10月11日 (日)

心霊研究のあり方

Bonji002 現代の心霊研究というものは交霊体験など霊魂そのものの研究が主体となっているようであるが、古の石塔や遺跡、古文書などから先人の行った霊魂供養の実体を調べ精査していくことも大事だと考えている。
今、筆者は長野県のM村とK村の霊魂調査を行っているが、やはり先人たちは当時、霊魂に対して何を考え、どう対応していたかを調べていくことも大切だと考えている。
そのひとつが庚申講である。この庚申講は巷で説明されているようにたんなる民俗信仰の行事だったとは少なくともこの二つの村からは感じ取れなかった。
要するにこのM村とK村の庚申講は少なくとも不吉な出来事が起こったころに行われ、目的は村の戒律(見ザル、言わザル、聞かザル)と霊魂供養が混在しているようである。
日本の民俗学研究で著名な折口信夫先生や柳田邦夫先生などの古代史研究などは現代の心霊研究には欠くことのできない貴重な財産であると筆者は考え併せて研究している。
 写真は長野県K村にある霊場に建立されている石塔であるが、現在の筆者にはとても難解な文字でまだ解読できていない。
この石塔に刻まれている文字は遠くインドの梵字(ぼんじ)らしいというところまで辿りついたが、これまでの調査で庚申講とのつながりも少し見え隠れしている。
このように、これからの心霊研究を進めるうえでは古代史や民俗学なども取り入れた研究が間違いなく必須条件で、これらの中から新しい発見が生まれるものと信じている。

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2009年9月 5日 (土)

「古代遺跡と霊」の映写会

奇跡の森の調査内容を取りまとめた「古代遺跡と霊」の映写が下記の通り実施される。
特に古墳や遺跡に興味ある方のご参加をお待ちしています。尚、会場は15名程度しか入場できませんのでご注意ください。

日 時:平成21年9月26日(土)PM13:00~15:00

場 所:ルノアールニュー秋葉原店
    http://wwwsoc.nii.ac.jp/jspp2/japanese/monthly/index.html

主 催:日本超心理学会
                                   以 上

Sisya001

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2009年8月13日 (木)

古墳と古代ロマン

Kofun013 先に古墳のミステリーという記事を書いたが、長野県M村で発見した前方後円墳について写真を添付して専門家に検証してもらった。
結果は思っていた通り写真だけでは判断が難しいということだった。そして、筆者が前方後円墳と判断した小規模の古墳は国内で発見されていないということである。
話は変わって奇跡の森から8Kmほどの下流域で発見されている7000~8000年前の縄文遺跡から出土した土器の一部に他に類を見ない土器があり、この土器には仮称R式土器という固有の名称がつけられている。
挿絵に筆者が調査中の前方後円墳の平面図をイラストにしてみたが、このような古墳は国内ではまだ発見されていない形式のものではないかと思う。縄文土器の特殊性や筆者が発見した前方後円墳から考察してみると、この長野県M村の住民のご先祖は一体全体何ものだろうか。恐らく渡来人ではないか。
今日はお盆の入りだ。このような古墳を調査していると長野県M村のご先祖様はその昔、古代高句麗から遠く海を渡ってこの日本に移り住んだ民族だったのではないかと、ちょっとした古代のロマンを思い浮かべている。
恐らく考古学者たちは遺跡や古墳を発掘しているときは、筆者と同じようにその時代の人類の姿や景色に古代のロマンを追い求めているに違いないだろう。

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2009年8月 6日 (木)

不愉快な懐疑論者

Small01 超常現象やUFOなどの懐疑論者で知られるW大学の物理学者であるO教授が自らの最近のブログで読者から送られてきた不思議な写真を見て、<カメラレンズの二重反射>だと仮説を出して答えている。
O教授は超常現象やUFOなどの民放テレビのバラエティ番組によく出演されているから、自らのブログも人気が高くて筆者も時々参考までに見ることがあるが、この不思議な写真を見て仮説を出すプロセスが物理学者とは思われないと感じている。
筆者も不思議な写真をよく分析しているが、一般的な大学の教授という人はたった一枚の写真から仮説を出す人間はほとんど稀だということである。
一般的な大学の教授であれば「たった一枚の写真からだと判断が難しい」と答えるのではないだろうか。
O教授がその不思議な写真に<カメラレンズの二重反射>と仮説的な結論を出しているが、さてさて誠にもって何を根拠にその仮説を導き出したのか物理学者としての真価が問われるのではないだろうか。
筆者であれば、先ずその不思議な写真が写った場所の写真をもう一度撮ってもらう、次にどうしてその場所の写真を撮ったのか理由を聞く、三番目にその写真が恐らくデジカメで撮ったものだろうから、その写真の画像情報を調べる。
この3点は最低でも調べてから仮説を出すだろう。添付の不思議な写真は筆者が森の中で偶然撮影したものであるが、これは犯人がくもの糸だった。要するにデジカメの近くのくもの糸がカメラのフラッシュに反応して光ったものだった。その写真の画像情報の中にフラッシュがONになっていたのが分ったので、同じ条件で写真を撮ったら再現したから間違いなかった。
よく心霊現象やら超常現象の懐疑論者がO教授のように自分の名声だけを背景にして世の中の不思議な現象を一蹴される人たちが見受けられるが、そのような懐疑論者はたんにバラエティ番組の役者という存在だけであって実に不愉快な存在にしかわれわれの目に写ってこない。

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2009年7月24日 (金)

古墳のミステリー

Otsuka002 筆者が名づけた長野県M村の「奇跡の森」で幽霊クリウと出会ってから、今年で七年の歳月が流れている。
そこで幽霊クリウが何故筆者の前に姿を現したのか調べ続けているが、とに角、このM村全体が歴史的な謎を多く秘めている。
特に古代である。隣村には7000年~8000年前の縄文遺跡が発見されているから、この辺りは多分日本人のルーツのひとつとなるご先祖が暮らしていたのは間違いない。
しかしながら、この場所は千曲川の上流にあって千曲川周辺ではたくさんの積石塚古墳が発見されているから、奇跡の森の古代の住民も同じ縄文人と呼ばれるような民族が暮らしていたのだろうと考えていたが、どうも千曲川界隈で発見されている積石塚古墳と格好がちょっと違っていることに最近気づいた。
写真に紹介しているように、「奇跡の森」に点在している古墳らしいものはインターネットで調べてみたら中国の集安市にある西大塚の前方後円墳に規模は小さいが姿かたちがよく似ていることが分った。
さてさて、困ったものだ。千曲川界隈の積石塚古墳はというと円墳と呼ばれるものが大勢であるように思う。しからば、長野県M村の「奇跡の森」に見られる古墳群から察するとM村のルーツは中国系の渡来人説が出てくることになる。
この「奇跡の森」の積石塚古墳らしいものは、まとめてみると山中に目立たないように作られていることだ。高さは大きいもので1m程度、一般的なものは大人のひざの高さぐらいしかない。春から秋までは緑に覆われて山中では殆ど山の斜面と見分けが出来なくなる。要するにM村の先祖は、この場所でひっそりと暮らしていただろうと考えることが出来る。
M村の関係者にときどき「奇跡の森」の古墳発掘予定について問い合わせることがあるが、なかなか前向きな返事が返ってこない。これも「奇跡の森」で起こる不思議な出来事の数々を懸念してのことだろうと考えている。霊魂の調査もこのようになかなか思うように進まないのが現状である。
(参照HP:古代への旅:積石塚をたずねて)
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/tumiisituka.mht

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2009年7月18日 (土)

MJの幽霊を検証する

Mj001 最近、インターネット上でマイケル・ジャクソンの幽霊ではないかと話題になっている映像がある。
CNNの撮影したユーチューブの映像では人影のようなものが部屋の奥を横切っているように見える。
この映像を筆者なりに分析してみると、この映像はCNNの「やらせ」としか判断できない。
これまでの筆者の霊魂に関する調査では、彼らはある場所に出現するのにはそれなりの理由があってたんにふらついてなどはいないと言うことである。
よく無人カメラに幽霊が写ったと騒がれることがあるが、彼らは理由も無く無人カメラの前に姿を現すことは無い。
筆者も奇跡の森で幽霊クリウがこの林道を時々理由も無くふらついているのではないかと考えて五年ほどカメラを定点方式で設置して調査したが、クリウは姿を再び筆者の前に現すことは無かった。

要するに幽霊や霊魂のはっきりした定義が現在の世の中には無いために、人々はそれなりの不確かな判断で幽霊や霊魂たちを創造しているに過ぎない。
このユーチューブの映像を見て否定して言えるのは、「幽霊は影を残さない」ということである。
尚、幽霊の定義については筆者のHPでも細かく定義しているから参考にして頂きたい。
http://homepage2.nifty.com/deadoc/km4/reserch01.html

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2009年6月28日 (日)

「天地人」と真田一族

Kousin002 今週のNHK大河ドラマ「天地人」もなかなか見どころがあって面白かった。このドラマは今の新潟(越後)が舞台となったものであるが、ところどころに信濃の国が登場している。
このドラマのなかで南信濃の真田一族がよく出てくるが、この真田一族はこのドラマでも取り上げられるように、上杉との盟約を一方的に反故にして豊臣秀吉に寝返ったことが裏切り者として紹介されていた。
この真田一族の生き方は、当時、武田家の家臣として同じく活躍した相木一族と比べてみると同じ南信濃の当時の領主の生き様としてよく分るような気がする。相木一族は武田家滅亡後徳川家に滅ぼされたが、寝返り上手な真田一族は又、生き残った。
昔から長野県は「信濃の国」と呼ばれていたが、今の山梨県(甲州)と同様に周囲が他国である。しかも甲州と違って周囲は十州(上州、武州、甲州、駿州、遠州、三州、濃州、飛騨、越中、越後)に囲まれていたから大変である。真田一族の生き様は、歴史的に見れば当時の生き残り策として正しかったのかもしれない。
筆者が幽霊と遭遇した場所も同じ南信濃である。この地方では以前紹介したように「庚申講」が今でも色濃く残っている。
信濃の国(長野県)は周囲が十州という他国に囲まれていたからこそ、真田一族に見られるような七色変化や忍び衆と呼ばれる生き様が必要だったといえる。
写真は筆者が調査しているM村の民家の前にある庚申塔である。どうしてこのように民家の軒先にあるのかはよく分からないが、なにかいわくがあるのは確かである。庚申信仰、「見ザル、言わザル、聞かザル」こそ真田一族が一大戒律としたものなのかもしれない。

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